4件のコメント

  1. 佐藤裕子

    ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。

    自分の死様がわかって生きるのはどんな気持ちなんだろう?手塚治虫の『ブッダ』に出てくる小さい子(名前は忘れた)は自分がいつどのように死ぬのかがわかっていて。あれはイエス様を描いたんだなぁと思い出しました。僕だったら気が狂いそうだ。とブッダに語らせた言葉は手塚治虫の気持ちだろう。私も同じ。いつ、どんな風に死ぬのかがわからないから生きることが出来ると思う。イエスさまは全部わかって生きた訳で。目の前に置かれた喜びは父なる神さまの御心に沿える喜びなんだと思ったら、私は出来るのか?と自問自答。でも、神さまは私に出来ないことは求めないだろうし…
    ひとつひとつの事が神さまの御心に叶っていることを感謝すること!と思いました。
    愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。私の罪の救い主と信じます。
    イエスさまのようには出来ないけどイエスさまを見習って生きられるようにしてください。あなたの御心に沿って生きることが喜びでありますように。感謝して愛するイエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

  2. 小間物谷直子

    この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。

    強い 決心が必要な気がします。
    それも 自分勝手な決心や決断ではなく。

    愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。私達が決断 決心する時
    イエス様と前に置かれた喜びを
    貴方と共に 共有できることをありがとうございます.貴方と共に前進出来ることを
    感謝してイエス様のお名前によって
    お祈りさせて頂きます。アーメン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA