4件のコメント

  1. 佐藤裕子

    パウロが現れると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てた。しかし、それを立証することはできなかった。
    パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、カエサルに対しても、何の罪も犯してはいません」と弁明した。

    現代も良くある事で、罪を犯したと言う時は大々的にニュースになるけど、その後どーなったのか?とか、間違いでした。とかはニュースにならずスルーされ、人々の頭の中には罪を犯した人となる。それが目的なんじゃないのかと思うほど。どっちが正しいのか?それが正解なのか?と疑うことも目的をすり替えられることに繋がるんじゃないか⁉︎結局は自分と神さまの間がどーなのか?と言う事になる。どんな事になってもドンとしてられる私になれば良いって事だ。恐るな。
    愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。私の罪の救い主と信じます。
    今日の御言葉もありがとうございます。
    私の中の恐れや不安も用いてくださっている事をありがとうございます。ただ、主を信頼することに集中して日々を過ごせることをありがとうございます。感謝してイエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。

  2. 小間物谷直子

    ユダヤ人たちは彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てた。しかし、それを立証することはできなかった。
    パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、カエサルに対しても、何の罪も犯してはいません」と弁明した。

    立証できないことに、なぜ 必死になるのでしょう。
    たぶん それは自分自身を正当化したいがために 今までの自分がやってきたことに
    関して 素直に認めることができない。
    硬いこころですね。
    だから 人を攻撃するのでしょう。

    パウロは、たい変だったでしょう。
    天と地が入れ替わった道のりを歩いていかなければ ならなかったのですから
    しかし 生まれ変わって 大変なことすら
    聖霊によって 力をあたえられ
    感謝の中で いかせれ 伝道していった。
    パウロでしかできないことですね。
    しかし パウロが残してくれた
    みことばが ありますね。
    どんなときも そのみことばが
    勇気づけてくれます。

    愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。いつも気づきをありがとうございます。貴方がいつも導き 力付けてくれること 感謝です.とりなしの祈りをいたします。歯車がくるい その歯車から
    ぬけだせない方がいます。どうか
    貴方の愛と タイミングで その歯車から
    ぬけだせることを イエス様のお名前によって お祈りさせて頂きます。
    アーメン

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