主暦2026年4月22日(水)5786年 lyar 5
聖書箇所
Scripture:
サムエル記 第一 26章9~12節(2017新改訳聖書)
ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主に油注がれた方に手を下して、だれが罰を免れるだろうか。」
ダビデは言った。「主は生きておられる。主は必ず彼を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。
私が主に逆らって、主に油注がれた方に手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。さあ、今は、枕もとにある槍と水差しを取って、ここから出て行こう。」
ダビデはサウルの枕もとの槍と水差しを取り、二人は立ち去ったが、だれ一人としてこれを見た者も、気づいた者も、目を覚ました者もいなかった。主が彼らを深い眠りに陥れられたので、みな眠り込んでいたのである。
Observation:
ダビデは再び、サウルを殺す絶好の機会を与えられた。しかも今回は、サウルだけでなく周囲の兵も深い眠りに落ちており、完全に無防備な状態でした。これは人間的に見れば、「神が与えたチャンス」と解釈されてもおかしくない状況なのです。
しかしダビデは、それをそうは受け取らなかった。彼は状況ではなく、「神の原則」に基づいて判断を下すのです。「主に油注がれた方に手を下してはならない」という基準を、今回も変えませんでした。
ここで非常に重要なのは、ダビデが「神が必ずさばかれる」と確信している点です。彼は、自分で正義を実行するのではなく、「神の時」と「神の方法」に委ねていることがわかります。つまり信仰とは、正しいことを一度するだけではなく、繰り返し同じ選択をし続けることが必要なのです。
またダビデは、サウルを殺さずに「槍と水差し」だけを持ち去りました。これは、敵を打ち負かすことではなく、「自分の正しさ、神様を第一にすることを証明する」ための行動でした。
この箇所は、信仰の成熟とは、一貫性であり、状況に左右されず神の基準に立ち続けることであることです。
Application:
神様の基準を守ることが大切なのに、経済のことでブレブレになっていたので、悔い改めて神様の基準に立ちづけていきます。
それがMBCの時にあった請求書の束から始まっているなぁと教えられました。これから先は、前に向かって進んでいきます。
祈りましょう(Prayer):
アバ父よ、今日も御言葉をありがとうございます。あなたの基準に従って歩むことができるように助けてください。私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私と共にあり、災いから遠ざけて、私が苦しむことのないようにしてくださいますように。今日もSharing Church、 Kahului Union Church、Tree Home churchを祝福して、教会員の一人ひとりをお守りください。病んでいる人、特にK.T.さんを癒してください。もっと愛が語られ、世界が平和になりますように祈ります。 エルサレムの平和のために祈ります。今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!

私が主に逆らって、主に油注がれた方に手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。さあ、今は、枕もとにある槍と水差しを取って、ここから出て行こう。」
ダビデはサウルの枕もとの槍と水差しを取り、二人は立ち去ったが、だれ一人としてこれを見た者も、気づいた者も、目を覚ました者もいなかった。主が彼らを深い眠りに陥れられたので、みな眠り込んでいたのである。
恨んだり 殺したりしては
ならない。すべて 神さまが判断してくださいます。
忘れずにこころに留めておきます。
絶対に。
愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。気づきをありがとうございます。
倫世家族をお守り感謝です。
桜に言葉を与えてくださり感謝です。
今 倫世家族は闘っていますが必ず神が裁いてくださることを信じ宣言します。
私と関わるすべての方が神を祝福することができますように
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
歴代誌上4:10(新改訳
イエス様のお名前によって感謝して
お祈りさせて頂きます。
アーメン
全ては神様が判断してくださる、アーメン!