4件のコメント

  1. 佐藤裕子

    自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、
    少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、

    誰に気兼ねすることなく、遠慮しないでと言われてる気がします。
    自費で借りようが貸してもらっていようが元を辿れば神さまの物。躊躇してしてしまうのは自分の心の弱さの表れなんだ。
    これから私は妹のサロンで…とか。妹の◯◯でと言う事があります。でも、妹に気兼ねしてたら私に神が与えた役割を果たすことができない。遠慮なく大胆に表現して行きなさい。と言われたんだと思います。
    そして、今まで何かと拗ねて、別にイイもん。って強がっていた事に気づきました。
    私が強がらずに求めていく事をします。
    神さまが私にやらせたいことがあるから妹を置いたくらいの勢いと感謝でいきます。
    愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。私の罪の救い主と信じます。
    今日も御言葉をありがとうございます。
    それぞれの役割の為にあえての配置。神さまのやりたい事を表現する為のシュチュエーションなんだと思いました。姉妹でひとつのことをしようと思うことも神さまのお考えあっての事。遠慮することなく、また、強がることなく素直に大胆にあなたを求め、表現していきますので助けてください。感謝して愛するイエス様のお名前でお祈りします。アーメン。

  2. 小間物谷直子

    パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、
    少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

    以前 パウロは、本当か嘘かわかりませんが 教会からのお金ではなく
    自分でビジネスをしながら
    福音活動をしていたと聞きました。

    こうすると 妨げられることもなく
    公平に判断できますね。

    この箇所で 気づきは、人をあてにするのではなく 経済的にも自立する事だと
    思いました。余計な雑念が入らないような
    気がします。
    思い浮かべたのが イエス様が聖所で机を
    ひっくり返す場面です。
    たぶん ビジネスや お金が悪いのではなくそれによって 余計な観念が入るからなのかなと おもいました。
    お金や ビジネスが悪いのではなく
    扱い方によっては、人間をかえてしまうからでしょう。
    聖所には 素直な心でないと 
    神をあがめられないのでしょう。
    愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。 貴方は、私に色々な方々をみせてくれました。今もみせてくれてます。
    貴方が私に何を教えようとしていることも
    うっすらとわかるような気がします。

    1番大切なものを
    貴方とともに 忘れず 前進していきます。どうぞ 守り導いてください。
    イエス様のお名前によって
    お祈りさせていただきます。アーメン

    • パウロは自分で働きながら語っていました。
      福音をまっすぐに語れるようにすることです。
      私もミッショナリーとして献金をいただきながら行っていた時がありました。
      しかし、あるときに打ち切られたのです。
      いつでもコントロールが入るのです。
      だからこそ、福音宣教のために自立して自律している必要があるのです。
      祈っています。

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