4件のコメント

  1. 佐藤裕子

    私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。

    それぞれ自分の賜物の山を登って行く事なのかな?と思いました。それぞれがそれぞれで達成するところにキリストの満ちた身丈があるのかな?と。自分の山を登って行くみたいなイメージなのかな?どのルートから登っても頂上は1つ。どんなふうに登るのかも自由。私はイエス様と手と手を取って楽しみながら登って行きたいです。愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。私の罪の救い主と信じます。私の賜物を活かせる山を与えてくださいますように。その山を丸ごと楽しみながら登って行く事を助け導いてください。感謝してイエス様のお名前でお祈りします。アーメン。

  2. 小間物谷直子

    こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。

    それぞれに 賜物 神様から
    わたされた ミッションがあると言うこと
    ですね。 それぞれがそれぞれの
    役割り。
    さあ 神様の時は、いつなのでしょうか?
    準備は、着々とすすんでいます。

    愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。貴方が与えてくださる
    一つの一つが感謝を持って
    すすんでいけるよう
    まもり 導いてください。
    イエス様のお名前によって お祈りさせていただきます。アーメン

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