信仰生活
Scripture
コリント人への手紙 第一 2章1~5節
兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。
それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。
Observation
最も大切なことはイエス・キリスト、十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心したことです。
それは神の愛と恵みによる救いがあったからです。
パウロが弱く、恐れおののいていたというのは、行いによって義とされるために行動したときとは反対になったからでしょう。自人間的な知恵、自分を正しいとする生き方は、力強く、大胆に語られたことでしょう。しかし人間の知恵によって解決できない、十字架につけられたイエスを語ること愚かに見えたことでしょう。
しかし、その弱く、恐れおののいているなかで語る言葉は、説得力のある知恵のことばではなく、聖霊(御霊)と御力の現れによるのです。そしてパウロのこの宣教によって、私たちの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためなのです。
Application
自分は愚かな存在であり、罪多き人であると自覚しています。詐欺師といわれようが、宗教だ、洗脳だ、カルトだと言われようが、私の略歴には良いこともありますが、罪も同時に記されているのは事実です。
その罪から贖い出して下さったイエス様の愛によって、今の自分があります。同時に、そんな者を神様は恥じることなく、用いて下さることに感謝でしかないのです。
人からの判断で私の心が揺らぐところですが、今日の御言葉を通して違いを明確にしてくれました。
コリント人への手紙 第一 2章14~16節(リビングバイブル)
「しかし、クリスチャンでない人は、聖霊が教えてくださる神の思いを理解することも、受け入れることもできません。彼らには愚かしく思えるのです。というのは、自分のうちに聖霊をいただいている人だけが、聖霊のお考えを理解できるからです。聖霊をいただいている人は、すべてを見抜きます。ところが、聖霊をいただいていない人は全く理解できないので、まごつき、とまどうのです。いったい、どうすれば彼らに聖霊がわかるというのでしょう。彼らは、主の思いを知ったこともなく、それを主と論じ合ったこともなく、また、祈りによって神の御手を動かしたこともないのです。しかし驚くべきことに、私たちクリスチャンは、まさにキリストの思いと心を共有しているのです。」
人間の知恵と御霊(聖霊)にパウロはそのことをもっと強く心に刻んで、イエス・キリスト以外を語るまいと決心したことでしょう。だからこそこう語ったのでしょう。「しかし驚くべきことに、私たちクリスチャンは、まさにキリストの思いと心を共有しているのです。」
新改訳聖書では、御霊を受けている人はすべてのことを判断しますが、その人自身はだれによっても判断されません。
「だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。
今日の御言葉を通して最終的に教えられたことは、私の信仰でした。信仰には人の知恵によって得ようとする生き方もあれば、神の愛によってただ聖霊の力による信仰があると言うことです。
行いによって義と認められることは、人の知恵によることにつながると思いました。信仰による義は、聖霊の導きにより、聖霊に力によって歩む事になるのです。
昨日のことを振り返りながら、なぜここで人間的な知恵で解決を図ろうとしたのだろうか、御霊(聖霊)に導かれて祈るべきだったなぁと教えられたのです。
だからこそ、今日の歩みの中ではまさに「キリストの思いと心を共有している」と言えるように聖霊の力によって導かれて、歩んでいきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたの御名を賛美します。
今日も御言葉をありがとうございます。信仰の違いについて改めて教えられて感謝です。違う生き方だからこそ、パウロのようにキリストのほかには語るまいと決心していくことができるように助けて下さい。
今、必要なのは聖霊の力によって満たし、守り、導いて下さることです。いつも祈りつつ、感謝し、喜んで、助けることができるように導いて下さい。
イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!