信仰はイエス様と共にいること

信仰

Scripture
マルコの福音書 4章36~41節
そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。
すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。
ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。
イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。
イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」
彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」

Observation
このところでは、弟子たちの信仰が試されているように思う。そして風や湖までが言うことを聞くこの方はどなたなのだろうと弟子たちは思ってしまったのです。イエス様は風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われたら、風はやみ、すっかり凪になったのです。神がともにおられること、臨在の素晴らしさ、そして信仰のもつ力強さがここにある。

Application
自分がこの場面に遭遇したらどうなんだろうと思った。きっと、同じように助けて欲しいと言っただろう。
ここで教えられたことは「信仰」だった。信仰って何か、それは神様の確かさによって生まれる確信であり、決意のようなことだと思わされた。

今日はこの信仰が強まるときはどのような時かを考えると、イエス様と共にいるときに本来は発揮するということ。しかし、イエス様がそばにいても、弟子たちは今起きている現象、舟の中に水がいっぱい入ってきていること、風が強く波が高いことを観ていることで、神様から遠く離れてしまった。

イエス様が共にいれば平安があり、問題が解決されるはずなのに恐れてしまうのです。それはイエス様を見るのではなく、イエス様から離れてしまっているからだとここで教えられるのです。

私の信仰を見直すときに、イエス様が共にいてくださっているにも関わらず、自分の力で行うとします。聖霊に委ねたらいいのに自分の力でどうにかしようとします。それがこの1ヶ月の祈り時に、教えられたことでした。信仰ではなく、自分の力でどうにかしようとしているのを信仰だと勘違いしていたのです。

信仰はアーメン!神様の確かさなのです。
「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」神様の臨在、イエス様と共にいること、聖霊の満たしが確かであることを求め、受け入れることです。そのときに私たちは恐れることなく、嘆くことなく、失敗することもなく、イエス様を証していくのです。

イエス様が共におられるからこそ、いつもイエス様を見上げて、聖霊の助けの中で恐れることなく、怯むことなく、勇気を持って前進できることを今日のみ言葉を通して教えられました。今、私たちはイエス様を信じて聖霊によって満たされました。その聖霊と共に歩むときに、イエス様が風や波に命じたことを私たちも行うことができるのです。
信仰はイエス様と共にいることであり、聖霊が与えられて歩む事なのです。

Prayer
天の父なる神様、あなたの御名を賛美します。イエス様が共にいてくださっているに、現象をみて恐れてしまっています。今日も聖霊によって満たしてください。イエス様が考えるように考え、イエス様が語るように語り、イエス様が行動するように行動できるように、助け導いてください。そして、あなたからの聖霊の賜物を活かして、多くの人たちにあなたの愛を伝えていくことができるように助けて下さい。
あなたの愛に心から感謝します。
イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!

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