信仰生活
Scripture
コリント人への手紙 第一 11章23~26節
私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。
「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
食事の後、同じように杯を取って言われました。
「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。
Observation
今で言う聖餐式のことですが、当時は教会でパンとぶどう酒を飲み食いするために来ていた人たちへの警告も含まれています。その中で、今日はイエス様を想い起こすために、この儀式があること、主の死を告げ知らせることに大切にしたのです。
Application
昨日は、怒りモードが一気にマックスまで高まりましたが、すぐにこれも主のトレーニングであり、感謝に変えることが出来ました。ちょっとは成長したなぁと思うのですが、そこから、自分の信仰が弱いのではないか、間違っているから祈りが聞かれないのではないか・・・色々と思うことになりました。行動コミュニケーション学の義タイプの最終的な人に貢献するためには、感謝ですが、その前に苦手だけどするといいことは、聞くことです。
私が神様の声を聞いていないことと、聞くための時間を取るようにと示されました。もちろん、デボーションで神様の声を聞いているのですが、何かを行う時に聴くことが出来るようにと祈らせられました。
そして今日のデボーションでは、聖餐式の内容です。イエス様の元に立ち戻ることが重要であることを教えられたのです。
🔲 何か感情が動かされるとき、イエス様の元に戻るのです。
🔲 何か調子がいいときに、イエス様の元に戻るのです。
🔲 相談を受けたときに、イエス様に戻るのです。
🔲 お金がないときに、イエス様に戻るのです。
そんなことを、ウエイン先生のYouTubeから学びました。
神様からのトレーニングは、神様の使命を全うするためにあります。そのために、聖霊の賜物をもって人々に仕えていくために整えられる必要があると教えられています。トレーニングは終わることはないと思っていますが、いつでもイエス様に戻ることができるように歩みたいと思わされました。
Prayer
天の父なる神様、あなたの御名を賛美します。
今日もあなたのみことばに感謝します。問題があるというのはいつもあなたに立ち帰ることができるで感謝です。何もないときでももっとあなたとの時間を過ごすことができるように助けて下さい。いつもあなたによって愛されていることを感謝します。
あなたの福音を語り続けることができるように助けて下さい。
祈って下さっている皆さまにも感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!
小間物谷直子
今日の私がそうでした。
honmoku
そうだったんですね。祈っています。