今日のデボーション聖書箇所
信仰生活
Scripture
詩篇49篇16節〜20節(LB訳)
ですから、悪者が金持ちになっても、りっぱな邸宅を構えていても、気を落とすことはありません。
死ぬ時には、名誉はおろか、何一つ持って行けないのですから。
生きている間中、幸せ者だと自負し、世間からも称賛されるような人でも、やがてはみなと同じように死に絶え、永遠の闇に沈んでいくのです。どんなに華やかな生涯を送ろうと、人は動物と変わりなく死を迎えるのです。
Observation
どんなにお金があっても、死ぬときには何も持っていくことができないのです。私たちの目の前には死があることを教えています。
Application
昨晩は初めてのサロンでした。行動コミュニケーション学ができた背景の中にある「絶対と相対」の話をしました。これは、月一ぐらい語りたい内容です。これがわかると、悪魔からの攻撃が分かり、今の社会情勢の中でも生きやすくなるだけでなく、自分の役割が明確になっていきます。
さて、今日は私にとっても大切な御言葉です。お金を持っても、名誉な事を行っても、幸せ者だと自負しても、世間から賞賛されても、死に絶え、永遠の闇に沈んでいくのです。ということは、この世の中にいるときにどのようにお金を使うことが大切であることも語られているように思いました。人々のために何ができるのか、そのためにお金を使うことをしていこうと改めて教えられました。それはどんなに小さな額であってもということも教えられました。
また、20節の新改訳聖書では「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。」
悟りがなければと記されいます。7節〜9節(LB訳)には
「しかし、王に負けないくらい裕福な彼らも、兄弟の罪を帳消しにすることはできません。罪の赦しは金では買えないのです。たましいはあまりにも高価なので、この世の富をいくら積んでも買い戻せません。世界中の金をかき集めても、ただ一人分の永遠のいのちも買い与えられません。地獄から救い出すことはできないのです。」と言われているのです。
私たちは自分で罪を贖うことができないのです。だからこそ、私たちはイエス・キリストの十字架と死と復活による罪の赦しの福音が必要となるのです。「罪からくる報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ローマ6:23」とあるのです。
だからこそ、私がすべきことはコリント人への手紙第一16章13節から14節に記されていることを実行したいと思いました。「目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。一切のことを、愛をもって行いなさい。」これはシェアリング・チャーチのテーマ聖句でもあります。
「一切のことを、愛を持って行いなさい。」そのためにも、神様に対する信仰が大切であり、祈りつつ神と共に歩む事を選んでいきたいと願わされました。
Prayer
天の父なる神様、あなたの御名を賛美します。
悟りのない者であり、いつも自分のことばかり考えるようなもです。今日はその中にあってお金のことを改めて教えられ感謝でした。これからの歩みの中で、信仰を大切にし、愛を持って行うことができるように助けて下さい。その愛から自分の持っているもの、知恵とか少額なお金であってもあなたに献げていくことができるように導いて下さい。
神様の愛に感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!
小間物谷直子
アーメン❗️
昨夜は、ありがとうございました😊
神様にこの機会と出逢いに
感謝です。✨