信仰生活
Scripture
ルカの福音書 19章11節
人々がこれらのことばに耳を傾けていたとき、イエスは続けて一つのたとえを話された。イエスがエルサレムの近くに来ていて、人々が神の国がすぐに現れると思っていたからである。
Observation
今日教えられたことは、ユダヤの人たちが願っていた神の国は来ないことを明確に語られていることです。そして最も大切なことは、神様に立ち帰ること、悔い改めること、神様に従い、神様の栄光を顕すことです。
ルカの福音書を書いたルカは誠タイプなので、各章が目的を持って書いています。
19章では、神の国について私たちの考え方を変えるために記されているように感じました。
ユダヤの人たちが望んでいた救い主は、ローマを一晩で打ち壊し、自分たちの国が復興することでした。しかし、イエス様は違っていました。むしろ、ユダヤの人たちに向かって語られていくのです。それは、その歴史の中でも幾度もなく同じ事をしていました。
先祖たちも神様に従わずに、自分の欲やお金を愛することの故に律法を曲げていくのです。そこにあるのは、神の国の実現ではなく、神の裁きです。
ルカの福音書 19章26節からもそれを伺うことが出来ます。
「彼は言った。『おまえたちに言うが、だれでも持っている者はさらに与えられ、持っていない者からは、持っている物までも取り上げられるのだ。」
19章には、神の神殿で商売、自分の利益のために商売していることに対して怒るだけでなく、涙を流しながらエルサレムの崩壊の話をするのです。
ルカの福音書 19章41~44節「エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」
ユダヤの人たちの罪を悔い改めることがなかったからです。神の国は神様と共に歩むこと、悔い改めて神様から任されたことを忠実に実行する中にあるのです。
今の私たちも神様と共に歩み、神様から委ねられていることを実行していきましょう。
Application
神様と共に歩み、神様に命じられていることを実行することが出来るようにしていこうと思わされました。私が神の国を現す者として、神と共に歩んでいこう。
そのためにも、
1)SOAPデボーションを通して、みことばに照らして悔い改めて神様とともに歩んでいこう。
2)神様の恵みに感謝して祈り、喜んで良い行いをしていこう。
3)ゴールデンルール・メソッドを通して、愛の素晴らしさを伝えていこう!
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
今日は神の国について考えることが出来ました。今もすぐに神の国を求めたいという思いがあります。この世の悪が満ちているからです。しかし、それよりも自分自身が悔い改めて、神様に立ち帰ることが出来るように、そしてあなたの福音を多くの人たちに語ることができるように聖霊によって導いて下さい。
今日もあなたの愛に感謝して、私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン
佐藤裕子
人々が神の国がすぐに現れると思っていたからである。
私も期待する質なので、ユダヤの人々の気持ちがわかるなぁ‥。さぞかしガッカリしただろうと思いました。なんだ💨チェって舌打ちの音が聞こえてきそうです。でも、聖書の前後の箇所を読んで、なるほど!と思いました。喩え話で説明してくださるイエス様に人々の目線まで下がってわかりやすく話す愛を感じました。コレで商売をしなさい。ロバの子を引いて来なさい。神様の指示に従うことの大切さを教えてくれていると思いました。そして、指示するだけじゃなく、受け答えまで教えてくれていることに驚きました😆
委ねられる。の所にピクっとした私がいました。委ねるのは知ってるぞ!と思いましたが。委ねられる??どーゆーこと?と思いました。委ね、委ねられる関係なのかな🤔そんな信頼関係が神様と築けたら素敵です。
指示に従うことで神様からの信頼を得て行く。それかな🤔😆と思いました。
愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
私の罪の救い主と信じます。
日々、自分の目の前の事で精一杯ですが、神様からの指示を進んでやれるような私にしてください。神様からの信頼を得られる私になれるように助け導いてください。日々悔い改めることができるように。神様の素晴らしさを表現できるように導いてください。イエス様のお名前でお祈りします。アーメン。
honmoku
本当ですよね。がっかりします、委ねることは信仰が成長します。
これはどこかで学びましょう。
祈っています。
小間物谷直子
46 「聖書に、『わたしの家(神殿)は祈りの家と呼ばれる』(イザヤ56・7)と、はっきり書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたは強盗の巣にしてしまったのです。」
イエス様の苦悩がヒシヒシと伝わってきます。
よくもまあ 罪人の私達を愛してくださいます。 どこを探しても そんな方は
いてません。 イエス様ただひとり。
ウェイ先生のお話なかで ペトロの心境について 語られてる箇所があります。
ペトロは、本当に誓ってイエス様に絶対ついていくと ココロから思ったのだとおもいます。
しかし、意図も簡単にやぶられました。
人間には、絶対とか存在しないのです。
自分は、大丈夫人殺しなんかしないから
これも ないんです。
もしかしたら 殺してしまう状況になるかも
わかりません。
人間ってそう言う生き物だと思います。
だからこそ イエス様の贖いによって
生かされてる私たちは、感謝です。
だからこそ 日々悔い改め
とんでもないのは、この私です。と
なれるよう デボーションを通して 再確認できますように。
愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。
ほんまに 褒めたたえますです。
こんな いいかげんで ペテロの様な物ですが日々のデボーションをとおして
悔い改め 常に前進できるように
導いてください。
イエス様のお名前によって
お祈りさせて頂きます。
アーメン
honmoku
絶対ではないからこそ神様の恵みに生かされていきましょう。