信仰生活
Scripture
ルカの福音書 9章23~24節(新改訳2017)
イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。
Observation
私たちは誰について行ったらいいのでしょうか。親でしょうか、上司でしょうか?
昔、ある人の鞄持ちをしました。その人の行く所どこにでも行きました。色々と学ぶことが多くありました。今日はイエス様について来たいと思うならとあります。
ついてきなさいではなく、来たいと思うなら、自分で選んで行動する必要があります。
その中で、自分で選んで、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、イエス様に従っていく必要があるのです。そして、その時に、自分のことを考えるのではなく、イエス様のために何をするのか、いのちを捨てても従っていくのです。
今日私がが教えられたことは、日々自分の十字架を負って、わたしに従ってきなさい。ということでした。
特に、日々でした。
日々自分の十字架を負うのです。毎日毎日の積み重ねが必要です。イエス様に従っていくためにも、日々十字架を負うのです。
今日私たちがイエス様に従っていく生き方をしていきましょう。
Application
イエス様に日々従っていくためにも、日々自分の重荷を負うためにもデボーションをしっかりとして、イエス様の福音を伝えていこう。
そのためにも
1)SOAPデボーションを通して、神様の御旨を知り、イエス様に従っていこう。
2)ゴールデンルール・メソッドを通して証しよう。
3)神様の愛に生きることを選び、与え続けていこう。
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
今日もみことばをありがとうございます。今日の礼拝も祝福して下さい。日々、あなたに従っていけるように助けて下さい。
今日もあなたの愛に感謝して、私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン
佐藤裕子
だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
私はイエス様についていきたいと思ったのです。創価学会でもなく、日蓮でもない。イエスキリストについていきたいと思いました。なぜなら、仏法は法であり、イエス様は真実、本質?だからです。法とは法則だと思うからです。イエス様の、全能の神の本質を証明する法なんだと思います。なので、それを信じる意味がないと思ったからです。
天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。私の罪の救い主と信じます。今日、私が選び、選択したんだと思うに至りました。そして、あなたが私に選ばせたんだと思い益々感謝します。あなたに繋がれたことに感謝します。これからも、あなたを選ぶことが出来るように、そして、あなたから選ばれる私であるように導いてください。イエス様のお名前でお祈りします。アーメン。
honmoku
天のお父様
佐藤さんが真理を追究しています。
あなたによって満たし、聖霊の導きの中で歩むことが出来るように助けて下さい。
更なる確信が与えられ、さらに喜びに満たされますように。
イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン
佐藤裕子
アーメン。