信仰生活
Scripture
ローマ人への手紙2章28~29節(LB訳)
ユダヤ人の両親から生まれたとか、ユダヤ人と認められるための割礼(男子が生まれて八日目に、その性器の包皮を切り取る儀式)を受けたというだけでは、真のユダヤ人とは言えません。 真のユダヤ人とは、心が神と正しい関係にある人のことです。神は、体の割礼を受けた人ではなく、心と思いが全く変えられた人を捜し求めておられるからです。そのような人こそ、人にはほめられなくても、神にほめていただけるのです。
Observation
今日の箇所を通して私たちは教えられるのが、血筋や儀式などでユダヤ人(クリスチャン)になれるわけではないと言うことです。
私たちの今の表現を使うならば、クリスチャンホーム何代目とか、洗礼を受けているから「私は真のクリスチャンだ」と言うことではないのです。また、聖書を深く学んだから、博士号をもているから、献金をいっぱいしているから、教会で奉仕し貢献しているからと言うことではないのです。
真のユダヤ人とは、と表現されている箇所をみてみましょう。これは私たちクリスチャンにも言えることだと確信しています。
心が神と正しい関係にある人のことです。神は、体の割礼を受けた人ではなく、心と思いが全く変えられた人を捜し求めておられるからです。新改訳聖書では「御霊による心の割礼」と訳されています。私たちにとって真のクリスチャンは、御霊による心の割礼を受けた人なのです。御霊によるということは、御霊の実を結ぶ人たちです。人に取り入ろうとするのではなく、神様に向かっていくので、人に褒められなくても、神に褒めていただけるのです。それが神様との正しい関係なのです。
Application
今日は自分が神様と正しい関係にあるだろうかとチェックするために選びました。祈りにおいても、言動においてもです。神様は日々のデボーションを通して、また仲間を通して忠告してくれています。
神様との正しい関係を維持するようにと、導いてくださっています。それは、聖霊(御霊)の働きによってなのです。
自我やプライドではなく、どれだけ神様の前に歩むことが出来るか、神様との正しい関係を求めていくことができるかが大切だからこそ、聖霊によって満たされる(神様の臨在)必要があるのです。またそれを求めるのです。ルカ11章13節「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
心に御霊の割礼を受けて、神様の御心を行っていきくためにも、いま御霊の賜物である「とりなしの祈り」を通して、行動していきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
今日も御霊による心の割礼が大切であることを教えてくださり、感謝いたします。
デボーションや多くの人たちのためにとりなしの祈りと福音宣教を通して、あなたとの関係を正しく保つことができるように導いてください。今日出会う人たちを祝福して歩めるように助けて下さい。
あなたの愛に感謝して、私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン!