主暦2026年7月3日(金)5786年 Tummuz 17
聖書箇所
Scripture:
イザヤ書 6章7~9節(2017新改訳聖書)
彼は、私の口にそれを触れさせて言った。「見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。」
私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
すると主は言われた。「行って、この民に告げよ。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな』と。
Observation:
この箇所には、神に用いられる者の姿が描かれています。まずイザヤは、自分の罪を深く自覚しました。神は祭壇から取られた燃える炭によってその唇をきよめ、「あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された」と宣言されたのです。神に仕える働きは、自分の資格や能力から始まるのではなく、神の赦しと恵みによることを教えています。
その後、イザヤは主の「だれを遣わそう」という呼びかけを聞きます。それまで罪の意識に満たされていたイザヤは、赦しを受けたことで恐れから解放され、「ここに私がおります。私を遣わしてください」と自ら進んで応答しました。神の召しに対する献身は、義務感からではなく、赦された者の感謝から生まれることを知る必要があります。
しかし、神がイザヤに託された使命は、人々がすぐに受け入れるような働きではなかったことが、この後に書かれています。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな』と語られるように、人々の心は頑なで、預言者の言葉を聞かないのです。それでも神はイザヤを遣わされるのです。私たちはただ語り続けることが召命として与えられているのです。
Application:
自分の罪によって恐れていることから、恵みによって生かされているからこそ、伝え続けいくのです。
祈りましょう(Prayer):
アバ父よ、亜たなの恵みに課されていることを感謝します。なによりも、罪赦されたことによって、あなたの前に召されました。どうぞあなたの愛を語り続けることができるように助けてください。今日もSharing Church、 Kahului Union Church、Tree Home churchを祝福して、教会員の一人ひとりをお守りください。病んでいる人、特にK.T.さんを癒してください。もっと愛が語られ、世界が平和になりますように祈ります。 エルサレムの平和のために祈ります。今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!
