今日のデボーション聖書箇所
信仰生活
Scripture
マタイの福音書5章43節〜48節(リビングバイブル訳)
『隣人を愛し、敵を憎め』とは、よく言われることです。しかし、わたしは言います。敵を愛し、迫害する人のために祈りなさい。それこそ、天の父の子どもであるあなたがたに、ふさわしいことです。天の父は、悪人にも善人にも太陽の光を注ぎ、正しい人にも正しくない人にも分け隔てなく雨を降らせてくださいます。自分を愛してくれる人だけを愛したからといって、取り立てて自慢できるでしょうか。悪人でも、そのくらいのことはしています。気の合う友達とだけ親しくしたところで、ほかの人とどこが違うと言えるでしょう。神を信じなくても、そのくらいのことはだれでもします。ですから、あなたがたは、天の父が完全であるように完全でありなさい。
Observation
マタイの福音書5章は、この世の基準と違うことが記されています。貧しいことが幸いだとか、言われます。選んだこの箇所でも、「敵を愛し、迫害する人のために祈りなさい。」とあります。
それが信仰を持つ私たちにふさわしいことだと言われるのです。なぜなら、神様(天主・天の父)は、悪人にも善人にも太陽の光を注ぎ、正しい人にも正しくない人にも分け隔てなく雨を降らせて下さるのです。つまり、私たちのふさわしい行動は「公平さ」であり、誰をも分け隔てなく祈ることだと教えられるのです。当たり前のことをしても、それは何の意味がなく、神様(天主)が完全であるように、私たちも完全である必要があるのです。完全であることも考え方を変える必要があるように思うのです。
Application
この箇所は10年前行動コミュニケーション学を作成する時に、何度も読んだ箇所です。聖書はこの世の中のことと反対のことが記されています!つまり私の常識ではなく、神様の法則があることを知る必要がありました。この数日教えられたことは、立ちあがるために必要な御言葉でした。そして今日もまた、ふさわしいことを行うように言われているのです。
今日は敵のために祈るようにと・・・
正直、祈るだけならできるなぁと思ったのです。敵に対する憎しみが生まれてくる時に、祝福を祈ることができるのです。祈りでその思いを断ち切り、癒やしと祝福を祈ることができるのです。神様は公平な方であり、それに対する完全さを求められているように思わされました。
先日、壮絶な人生を歩んでおらる方の話を聴きました。最後は愛によって目が覚めたことを話されていました。公平な生き方は、愛で包み込むことが重要なのだなぁと思わされたのです。それは神の愛を伝えることだと教えられました。そして、愛のリーダーを生み出すように20歳の時に語られた神様の召しに向かって歩んで行きますので、お祈り下さい。
Prayer
天の父なる神様、あなたの御名を賛美します。
今日の御言葉をありがとうございます。いよいよ立ちあがるためのカウントダウンが始まっているように感じました。あなたの愛に感謝します。いろいろな事が起こり、自分の姿勢について教えられています。今日は公平さからあなたの愛をすべての人に伝えるためにも愛のリーダーを育成していきます。
私のことを祈って下さっている皆さんの祈りに感謝します。
私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン!
小間物谷直子
アーメン‼️