主暦2026年4月26日(日)5786年 lyar 9
聖書箇所
Scripture:
サムエル記 第二 1章11~16節(2017新改訳聖書)
ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。ともにいた家来たちもみな、そのようにした。
彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また主の民のため、イスラエルの家のために悼み悲しんで泣き、夕方まで断食した。サウルらが剣に倒れたからである。
ダビデは自分に報告したその若い者に言った。「おまえはどこの者か。」彼は言った。「私はアマレク人で、寄留者の子です。」
ダビデは彼に言った。「主に油注がれた方に手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」
ダビデは家来の一人を呼んで言った。「これに討ちかかれ。」彼がその若い者を討ったので、若い者は死んだ。
ダビデは若い者に言った。「おまえの血は、おまえの頭上に降りかかれ。おまえ自身の口で、『私は主に油注がれた方を殺した』と証言したのだから。」
Observation:
サウルは長い間ダビデを追い、命を狙い続けた存在でした。そのサウルが死んだという知らせを受けたとき、ダビデが取った行動は、忠実そのものでした。彼は喜ぶどころか、自分の衣を引き裂き、深く悲しみ、断食までしてサウルとヨナタンの死を悲しむのです。
ダビデにとってサウルは敵である前に、「主に油注がれた方」であり、忠実なのです。そのため、たとえ敵対していても、その死を軽く扱うことはできなかったのです。
さらにダビデは、「自分がサウルを殺した」と語ったアマレク人の若者を処刑するのです。これは報復ではなく、「神に油注がれた者に手をかけることの重大さ」を守るための判断なのです。
この箇所は、真のリーダーとは、自分の感情や立場ではなく、「神の基準」で物事を判断する者であることを示しています。また、敵の滅びを喜ぶのではなく、悲しむことができる信仰が必要なのです。
Application:
ダビデの行動を通して、神様が選ばれ油注がれた方を尊ぶことは、神様を尊ぶことだと教えられました。敵対していようと、神様への信仰として悲しむのです。信仰は心が大切であり、神様への忠誠が必要なのです。
祈りましょう(Prayer):
アバ父よ、あなたの尊い御名を賛美します。今日もダビデを通して、教えられたことを感謝します。どのような中にあっても、あなたを恐れて歩むことができるように導いてください。今日の礼拝を祝福してください。今日もSharing Church、 Kahului Union Church、Tree Home churchを祝福して、教会員の一人ひとりをお守りください。病んでいる人、特にK.T.さんを癒してください。もっと愛が語られ、世界が平和になりますように祈ります。 エルサレムの平和のために祈ります。今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!
