主暦2026年4月23日(木)5786年 lyar 6
聖書箇所
Scripture:
サムエル記 第一 27章10~12節(2017新改訳聖書)
アキシュが「今日は、どこを襲ったのか」と尋ねると、ダビデはいつも、ユダのネゲブとか、エラフメエル人のネゲブとか、ケニ人のネゲブとか答えていた。
ダビデは男も女も生かしておかず、ガテに一人も連れて来なかった。「彼らが『ダビデはこういうことをした』と言って、私たちのことを告げるといけない」と思ったからである。ダビデはペリシテ人の地に住んでいる間、いつも、このようなやり方をした。
アキシュはダビデを信用して、こう思っていた。「彼は自分の同胞イスラエル人に、とても憎まれるようなことをしている。彼はいつまでも私のしもべでいるだろう。」
Observation:
この場面でダビデは、ペリシテ人の地に身を寄せ、敵であるアキシュ王のもとで仕えています。彼はイスラエル人ではない民を襲いながら、その事実を隠すために一人も生かしておかないという行動を取っています。
ここには、それまでのダビデの姿とは少し異なる側面が見えます。これまで彼は「主に委ねる」「手を下さない」「神の時を待つ」という信仰的な選択をしてきました。しかしこの場面では、「恐れ」や「生き延びるための計算」があるように見えるのです。
また彼の行動は、「知られるといけない」という隠し事を前提としているのです。これは、神との関係が表に出ている状態ではなく、人の目や状況を優先している状態なのです。
一方でアキシュはダビデを完全に信用しているが、その信頼は誤解に基づいているのです。つまり、外側ではうまくいっているように見えても、内側にはズレが生じているのです。
この箇所は、どれほど信仰的に歩んできた人でも、環境や恐れによって判断が揺れてしまうことを教えているのです。そしてそのとき「神との距離」が微妙になってくるのです。
Application:
サウロ王の妬みはひどく、信仰者であるダビデの心に変化が生まれるほどです。その中で、ダビデは状況に流される行動を取るのです。偽りの行動です。それは自分にもあるように思うのです。いつもただ神様を見つめているのではなく、経済の困窮で見失ってしまった自分の姿が当てはまるのです。だからこそ、神様に頼って歩む必要があるのですが、いつも心が逃げてしまうような弱さを持っているのです。だからこそ、デボーションを通していつでも自分を見つめて歩めるようにしていきます。今の状況も神様への信仰とそれに伴う行動に改善できるようにしていきます。
祈りましょう(Prayer):
アバ父よ、あなたの御名を賛美します。今の私の心をあらわすような御言葉をありがとうございます。どうぞ、経済的な必要も満たしてくださり、前に向かって進むためにもあなたに対する信仰と行動を伴わせてください。今日もSharing Church、 Kahului Union Church、Tree Home churchを祝福して、教会員の一人ひとりをお守りください。病んでいる人、特にK.T.さんを癒してください。もっと愛が語られ、世界が平和になりますように祈ります。 エルサレムの平和のために祈ります。今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!

アキシュはダビデを信用して、こう思っていた。「彼は自分の同胞イスラエル人に、とても憎まれるようなことをしている。彼はいつまでも私のしもべでいるだろう。」
わかります。人ってそう言うものだから。
自分もそんな時ありました。
昨日 ネットフリックスでクリスチャンの映画をみました。
キャストは祈りのチカラで拝見した方々でした.弟子訓練していくのですが
素晴らしかったです。
そして 本当に神さまを信じて祈っていたのかと再度確認し悔い改めました。
ダビデも色々な経験の中で
神さまとの交わりを強めていったのでしょう。
愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。気づきをありがとうございます。
毎日 守られている事 感謝です。
倫世家族が闘っていますが 神さまの力によって守られていること
勝利できる事 感謝です。
桜に言葉をありがとうございます。
私と関わるすべての方々が神様を祝福する事ができますように
今日 明日と大事なミーティングがあります。神がチカラと守られて
進むことができますように
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
歴代誌上4:10(新改訳
イエス様のお名前によって感謝して
お祈りさせて頂きます。
アーメン