主暦2026年4月15日(水)5786年 Nisan 28
聖書箇所
Scripture:
サムエル記 第一 17章37~40節(2017新改訳聖書)
そして、ダビデは言った。「獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。主がおまえとともにいてくださるように。」
サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着けさせた。頭に青銅のかぶとをかぶらせて、それから身によろいを着けさせたのである。
ダビデは、そのよろいの上にサウルの剣を帯びた。慣れていなかったので、ためしに歩いてみた。ダビデはサウルに言った。「これらのものを着けては、歩くこともできません。慣れていませんから。」ダビデはそれを脱いだ。
そして自分の杖を手に取り、川から五つの滑らかな石を選んで、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にし、そのペリシテ人に近づいて行った。
Observation:
ダビデはゴリアテという圧倒的な敵に向かう前に、「これまで神が救ってくださった経験」を根拠に、今回も神が助けてくださると確信していました。彼の信仰は、単なる理想や希望ではなく、過去の体験に基づく確信でした。
サウルはダビデに自分のよろいを着せようとするが、それはダビデにとって本来の戦い方ではありませんでした。ダビデはそれを試すものの、「慣れていない」と言って脱ぎ捨て、自分が普段使っている石投げを手に取って戦うのです。
ここには重要な原則があるのです。神は人を用いるとき、その人らしさやこれまでの経験を通して働かれるのです。他人のやり方や権威に頼るのではなく、神が自分に与えてくださった方法で戦うことが最善なのです。ダビデは「石を五つ」選びました。つまり、信仰とは「神がやってくださるから何もしない」ことではなく、「神を信頼して自分の役割を果たす」ことが求められているのです。
私たちは自分の鎧を脱ぐ必要があります。もちろん、人からの鎧は合わないのです。ですから、自分を探し求めることが必要です。しかし、自分らしくなるだけでなく神の鎧(信仰)をもって歩んでいきましょう。
Application:
皆が恐れている中で、神と共に歩むダビデだけが人の鎧を捨て、神と共に歩んでいる道具だけをもって戦うのです。自分らしく戦うだけでなく、神が共におられるという信仰を持って戦うのです。これが今の私に取って必要なことだと自覚させられた御言葉でした。だからこそ、神様の愛を語り続けていくためにもデボーションを通して神様のみ声を聞いていこう!
祈りましょう(Prayer):
アバ父よ、今日も御言葉を感謝します。あなたの愛と恵みに感謝します。ダビデの戦い方を通して、自分らしく戦うだけでなく、あなたと共に戦い続けることができるように導いてください。
今日もSharing Church、 Kahului Union Church、Tree Home churchを祝福して、教会員の一人ひとりをお守りください。病んでいる人、特にK.T.さんを癒してください。もっと愛が語られ、世界が平和になりますように祈ります。 エルサレムの平和のために祈ります。今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!
