今日のデボーション聖書箇所
信仰生活
Scripture
コリント人への手紙 第二 7章8~10節
あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、私は後悔していません。あの手紙が一時的にでも、あなたがたを悲しませたことを知っています。それで後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちから何の害も受けなかったのです。
神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
Observation
その人たちへの熱心な思い、神と共に歩む思いを伝えていく時に、その人たちにとって悲しみの手紙になるようなものになってもそれによって悔い改めることによって、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせるのですが、世の悲しみは死をもたらすのです。
Application
この数日、いろいろな事が動き出しています。神様の愛と恵みに感謝しています。まだまだ自分の思いで進んでしまうので祈りつつ歩みたいと願っています。
さて今日は悔い改めについてです。もしかすると、ここが一番触れたくないことなのかも知れません。指摘されることは辛いことですし、ここにあるように悲しみになります。しかし、そこから悔い改めが起こっていくのです。
これが神様の愛であり恵みなのです。私も悔い改めることがいっぱいある者です。毎日のように悔い改めます。自分の内に刻み込まれている罪、神様のことを考えない自分が顔を出すからです。だからこそ、デボーションやその分かち合いを通して教えられ、神にふさわしい整えられた者となるように悔い改めていくのです。
また、パウロのように悔い改めに導くために、話したりメールをしたりします。それで心が痛むこともあります。特に理解されないことが多いからです。
特に理解されない人たちは、信仰の熱心者になっている人たちです。人によって、または行いで義とされようとしていること、奉仕を熱心に行っているから私は間違っていない、正しいんだとなる人に多いです。
ただ、私たちは神様の恵みによって生かされているのであり、神を礼拝する者として歩み、神の国が近づいたと悔い改めて福音を信じなさいと語る者なのです。私も何年この間、恵みに生かされていると思いつつも、人を気にしたり行いによって認められるような行動でした。ですから、悔い改めることもなく、いつも対立を生みだしていたのです。
今もそのような思いになるときもありますが、神様の恵みに生かされていることの喜びを味わっています。
今すぐに行動しないのも、同様であって、動くことは簡単ですが神様との関係の中で、本当にここだという時に歩み出したいと願っています。シェアリング・チャーチもはじめましたが、まだプレであると思っています。これから祈りつつ、オープンさせていきたいと願っています。今の悲しみが悔い改めに導かれること、そう思って神様と共に歩む事をしていきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたの御名を賛美します。
今日も御言葉をありがとうございます。悔い改めへの発言は受ける方であっても、発言する方であっても悲しみがあります。しかし、その悲しみが悔い改めへと導かれることに感謝します。それが神様と共に歩む事であることに喜びを覚えます。どうぞ、あなたの恵みの中に歩む事ができるように聖霊の力によって導いてください。
多くの人たちの祈りに感謝して、私たちの救い主イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!
小間物谷直子
アーメン。昨夜から第1回目の聖書の学びをしました。5人でしたが、先生との学びを通して、神様を伝えられていけると確信してます。
先日のエバの話など一緒にディスカッションできました。感謝です。