今日の聖書箇所
Scripture:
ヨハネの福音書 5章39~43節(2017新改訳聖書)
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。 わたしは人からの栄誉は受けません。 しかし、わたしは知っています。あなたがたのうちに神への愛がないことを。 わたしは、わたしの父の名によって来たのに、あなたがたはわたしを受け入れません。もしほかの人がその人自身の名で来れば、あなたがたはその人を受け入れます。
Observation:
今日は礼拝でも同じ箇所なので、chatGTPで観察しました!
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています」
→ ユダヤ人たちは熱心に律法と預言書(旧約聖書)を研究していたが、その目的がずれていた。
→ 聖書は単なる知識の宝庫ではなく、イエス・キリストへと導く証言です。
「それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません」
→ 聖書の学びがあっても、イエスとの関係に結びつかないなら、真のいのちは得られない。
「あなたがたのうちに神への愛がないことを知っています」
→ 表面的な信仰行為や宗教的熱心さがあっても、動機に愛が欠けているなら、それは神に受け入れられない。
→ ここでの「愛」は、知識や行動を超えた心からの神への信頼と従順を意味しています。
「わたしは、わたしの父の名によって来たのに、あなたがたはわたしを受け入れません」
→ イエスは神の権威に基づいて来られたが、それが彼らの期待する「救い主像」ではなかったため拒否された。
「もしほかの人がその人自身の名で来れば、あなたがたはその人を受け入れます」
→ これは自己主張の強い偽メシアたちへの皮肉とも取れる。
→ 真理を語る者を拒み、人間的な力を持つ者に惹かれる人間の弱さを暴いています。
Application:
聖書を知っていても、信仰があるわけではない。大切なことはイエス様の元に行くことです。そばに行くことです。
信仰はイエス様の十字架の贖いを受け入れ、心で信じて義とされ、口で告白して救われるのです。
だからこそ、今日の礼拝やデボーションを通してイエス様を受け入れて共に歩んでいきます。その結果として福音を伝え続けていきます。
祈りましょう(Prayer):
天のお父様、あなたの尊い御名を賛美します。
今日の礼拝を感謝します。あなたを受け入れ、あなたと共に歩むことができるように助けてください。
我が子よ。あなたを通してわたしはわたしの愛を語り続けていきます。多くの人たちがその声を聞き、わたしを褒め称えることになります。あなたの役目はわたしの愛を伝えることです。恐れることなく、わたしのあいを語り続けなさい。わたしはあなたの思いに応える。語り続けなさい。枠を取り払って語り続けなさい。わたしはあなたと共にいる。
今日もKahului Union Church、Tree Home churchを祝福してくださっていることに感謝します。病んでいる人、特に意識不明になっているK.T.さんを癒してください。
日本と世界の政治を祝福してください。選挙をお守りください。終末の時代の中、悪魔崇拝者がこの暗闇の支配者として君臨していますが、あなたの愛が輝き、多くの人たちがあなたを信じることができるように助けてください。
今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!