2件のコメント

  1. 佐藤裕子

    ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです。

    神さまのさばきと聞くと叱られるように思ってしまうけど、そーでは無いかもしれない。神さまは人を裁くことはしないと思うし。どんな人も憐んでくださる方と思うから。だとすると、人から裁かれるか自分が裁くか…なのかな?1番、自分が裁いているかも。こんな私じゃ…と。どんな私も神さまから生まれ、神さまに愛されていると思えば自分を裁く裁判官から自由に解き放たれる。人は自分を映す鏡だから、自分を許して笑顔になって立てばそこに映る世界も私を受け入れてくれる。コレが神の方式。
    愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
    あなたに愛され、許されていることをありがとうございます。許されているのに、いつまでも許してないのは自分です。自分のことを許せることをありがとうございます。感謝してイエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン。

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