今日の聖書箇所
Scripture:
コリント人への手紙 第一 9章16~18節(2017新改訳聖書)
私が福音を宣べ伝えても、私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないのです。福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。
私が自発的にそれをしているなら、報いがあります。自発的にするのでないとしても、それは私に務めとして委ねられているのです。
では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに無報酬で福音を提供し、福音宣教によって得る自分の権利を用いない、ということです。
Observation:
パウロは福音を伝えること、それ自体では誇りにならないというぐらい、神様の恵みによって救われたのです。勇タイプパウロの恩返しなのです。
無報酬で福音を提供するぐらい当たり前なのです。
Application:
私がこの箇所を読むと、利き脳は神様から与えられた福音のように感じてしまうのです。そうすると、無料で提供したいという気持ちになるのです。そこで、他の仕事をしながら利き脳を伝えていきたいとなるのです。0か100の人間で目的から考えるとそうなるのです。そして悩むのですが、今回はそうではなく、実行する方に焦点を当てると、神様への恩返しとして多くの人たちに伝えていこう!
祈りましょう(Prayer):
天のお父様、あなたの尊い御名を賛美します。今日もみことばをありがとうございます。無料で伝えるとか、有料で伝えるということにこだわるのではなく、多くの人たちに神様の愛を伝えて行けるように導いてください。今日もシェアリングチャーチ、カフルイユニオンチャーチ、Tree Home churchに属している一人ひとりを祝福してくださることを感謝します。病んでいる一人ひとりを癒してください。日本と世界の政治を祝福してください。終末の時代の中、あなたの愛が輝き、多くの人たちがあなたを信じることができるように助けてください。
今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!
佐藤裕子
福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。
『存在価値』と言う言葉が浮かぶ。義タイプは存在愛。だからかなぁ?私が存在していいのだろうか?って思うことは義タイプゆえ。まず自分を存在して良いと認めていたい。神さまは何をしてもしなくても存在することを望んでいるから今生きてるんだと知ること、覚えること。私が存在愛に満たされていくことだと思う。
愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
あなたの愛を受け取ること、それは存在してイイと言うことです。あなたからの愛で満たしてそのまま溢れるままに流します。
感謝して愛するイエス様のお名前でお祈りします。アーメン。
honmoku
存在価値っていい言葉ですね。私も思えます。
祈っています。