今日のデボーション聖書箇所
信仰生活
Scripture
コロサイ人への手紙 2章20~23節(LB訳)
キリストと共に死んだあなたがたは、この世の教えから解放されたのです。それならなぜ、「あれは食べるな、なめるな、さわってもいけない」などという規則に縛られ、この世の考えに従う生活を続けているのですか。それらはすべて消えてなくなるもので、人間の作った規則にすぎません。食物は食べるためにあり、食べればなくなります。このような規則は、自分を規制するきびしい礼拝とか、謙遜とか、肉体の苦行などを伴うので、いかにもすぐれたもののように思われがちですが、それによって、人の心に忍び込む、悪い思いや欲望に打ち勝つことはできないのです。それは、その人を高慢にするだけです。
Observation
私たちの周りにはスピリチュアル系という人たちがいます。その人たちが開運とか浄化とかいう言葉が好きです。み使い(天使)礼拝をしたり、新月に願いことをするといいと言います。
しかし実際はどうなのでしょうか?このコロサイ人への手紙の中にすでに描かれているのです。今に始まったことではないのです。むしろ、聖書に記されていることにちょっとだけ嘘を入れて話すだけで、皆さんの耳障りのいい話になったり、恐れから信じさせて、収入を得させようとするのです。
そしてそれらは神様につながっていないのです。この世の考え方です。そしてそれらが、「あれは食べるな、なめるな、さわってもいけない」などという規則に縛られ、この世の考えに従う生活を続けることになるのです。
自分を規制する厳しい礼拝、謙遜とか、肉体の苦行(奉仕)などは、優れたもののように思われがちですが、それによっては、悪い思いや欲望に打ち勝つことはできないのです。むしろ、それによって人を高慢にすると言われているのです。
私たちがする努力が罪を助長させることにつながるのです。だからこそ、私たちは神様の恵み(キリストの十字架)によって、罪に支配された古い性質から解放されたことに生きることが大切なのです。
Application
今日教えられて実践しようと思わされたのが、こうすべきだ(絶対だ)という礼拝や、苦行だとか、謙遜とかは高慢になるのです。
そして人を自由にするのではなく、罪の生き方に戻してしまうのです。だからこそ、イエス様の十字架の愛によって解放されていることを覚えて、日々の歩みを行っていくのです。
キリストにあって罪から解放されたものとして、仕事に励み、日々の感謝と喜びをもって歩む必要があるのです。
そのためにも、本体はキリストであり、キリストに結びついていることを自覚し歩んでいこう!
だからこそ、
1)デボーションを通して自分を絶対とすることなく、恵みに生かされていることを喜ぼう
2)シェアリング・チャーチを行う時に、こうすべきだと言う礼拝にしないけれども、ここは守りたいと言うことの最低を明確にしていこう
3)高慢になることのないリーダー育成をしていこう、そのためにも恵みに生かされていることを実践していこう
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
今日も御言葉をありがとうございます。高慢になることのないためにも、キリストの十字架の恵みに生きることができるように助けて下さい。また、その愛の本質から離れることのないように聖霊の助けを与えてください。神様の愛を多くの人たちに伝えることができるように、祈り、賛美をして喜びを伝えることができるように導いてください。
私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン!
小間物谷直子
15日昨日は、1年で最高の日とか
スピチュアル系の方々がほとんどのイベント ただただ疲れだ1日でした。
宇宙と交信とかわけわからない世界に吐き気がし聖書も読むには読んだのですがデボーションができずの1日でした。これが悪魔との闘いなどと思いました。
しかしこのことにも意味があるのでしょう。
高慢にならず 平安でいられるよう
お祈りさせて頂きます。アーメン
honmoku
おはようございます。
スピ系の人は皆さん、そう言っていましたね。本当に疲れます。
悪霊とつながっているとは知らないとおもいます。
本当に戦いです。
だからこそ、福音を伝えていきましょう。
お祈りしています。