信仰生活
Scripture
ヤコブの手紙 1章12~15節(2017新改訳)
試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。
だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれかを誘惑することもありません。
人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。
そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
Observation
試練と誘惑は同じ言葉だと言われています。その動機によって意味が変わるのです。試練と捉えるのか誘惑と捉えるのかでは、現象が違ってきます。
ですから、誘惑は神によってではなく、自分の欲に引かれ、誘われるのです。ここの対応が難しいですよね。
神様が違うと語りかけてくださっているのに、何かのスイッチが入って購入したりします。後で、やめておけばよかったということがあります。それは自分の欲です。十分わかっているけど、ついつい手を出してしまうのです。そして、それを神様の御心のように工夫しようとして、言い訳を作るのです。
義タイプの私は自由になること、解放されることを望みます。ですから、お金があればと現実を見なくなるのです。
訓練されても何回も誘惑にあうのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟して死を生むのです。
だからこそ、一緒に祈れる仲間だったり、苦労を共にする人たちと共に、神様の試練として受け入れ合い、祈り合っていきましょう。試練に耐えた人は、いのちの冠を受けるからです。
Application
自分の中にある欲をどのように対応するのか、その時に一人で隠れてではなく、ライフグループによって分かち合う仲間たちがいて祈りあい、助け合うことができるといいなぁと思いました。
オープンマインドで反対する人がいることが大切だと思わされました。そしていつもデボーションを通して、心を点検していきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
今日も誘惑について学ぶことができました。自分の欲が優ってしまうことが多いですが、あなたの御心を知り、あなたに従うときに何を選択するかを導いてください。今日もあなたの愛に感謝して、救い主イエスキリストの御名でお祈りします。アーメン
小間物谷直子
試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。
試練なのか?誘惑なのか?
誘惑を耐えぬ蹴ることが、試練なのか?
毎日が試練?そうかも。
愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。デボーションをとおして
色々な事を振り返り 毎日の糧と出来ること感謝です。
この御言葉をとおして もう一度自分を見つめ直し前進できるように 導いてください。
イエス様のお名前によってお祈りさせて頂きます。アーメン
honmoku
神様によって訓練されているなら試練ですね。
祈っています。