今日の聖書箇所
Scripture:
ルカの福音書 18章9~14節(2017新改訳聖書)
自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。
「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。
私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」
Observation:
ルカの福音書でこの記事があることに注目する必要があります。誠タイプは優秀な方が多いです。そして相手の欠けているところをカバーすることが得意です。
神様から与えられている賜物がそこにあります。しかし、同時に悪く使うと「自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たち」となってしまいます。
そのことを理解するために、パリサイ人と罪意識を持っている取税人の例えでした。
パリサイ人は祈りの中で、自分は正しいことを取税人と比べ、正しい行いをしていると言います。
『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
しかし、取税人は罪をなげいているのです。
神様の目から見た時に、自分は正しい行いをしているし、相手が間違っていると指摘することよりも、罪を悔いて祈る方が正しいのです。
そしていつも「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」
Application:
本当に面白いなぁと思うのです。それでもこのようにすれば、問題が解決される内容が記されているのがいいなぁと思います。
ただ、それを素直に受け止められない自分がいるのも確かです。
ここはローマ書で似たような記事を読むと、裁いてはいけませんとなると納得しやすいです。
自分が裁きをする立場ではないですし、神様の裁きからイエス様を信じる信仰によって救われたからこそ、恵みに生かされているので自分を低く生きることが喜びであると感じるのです。
自分自身も正しくて、他の人を見下さないように、神様の恵みを覚えて歩んでいきます。
祈りましょう(Prayer):
天のお父様、あなたの尊い御名を賛美します。今日も御言葉をありがとうございます。自分が正しく、相手を見下すことは裁くことです。そういう自分がいます。そのことはあなたがご存知です。あなたの救いと愛と恵みの故に、裁くことなく、見下すことなく歩むことができるように助けてください。弱い者ですから、聖霊の導きの中で歩ませてください。今日もシェアリングチャーチ、カフルイユニオンチャーチ、Tree Home churchに教会に属している一人ひとりを祝福してくださることを感謝します。病んでいる一人ひとりを癒してください。日本と世界の政治を祝福してください。終末の時代の中、あなたの愛が輝き、多くの人たちがあなたを信じることができるように助けてください。
今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!
佐藤裕子
私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
週に二度も断食出来ないし十分の一を捧げているか?と思うとやってないと思うけど。それを見て、出来ない自分を責めるより、出来ていることを見てあげる。
人と比べちゃうからできる出来ないの比較になると思う。私にできることをやらせていただく。そー思ったら、神さまは優しいなってつくづく思う。歯を食いしばってまでやるべきことなんて何も求めておられない。嬉しい☺️
愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
私の価値は人から決めらるものでもないし、自分が決めるものでもない。あなたが必要とされているから私があるだけ。それがどんなに祝福されていることなのかをば知りました。感謝して愛するイエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン。
honmoku
できることをしていきましょう。
祈っています。