信仰生活
Scripture
詩篇32篇1節〜6節(LB訳)
罪を赦された人は、どれほど幸せなことでしょう。
罪がすっかり消された喜びは、どれほど大きいことでしょう。
罪を告白し、その記録を消し去ってもらった人は、どれほど解放感を味わうことでしょう。
私には、罪を認めたくない時がありました。しかし、私はかえってみじめになり、くる日もくる日も挫折感にとらわれて過ごしました。神の御手が、いつも重くのしかかっていました。
私の力は、強烈な日ざしの照りつける水たまりのように干上がりました。
とうとう私は、自分の罪を神の前にさらけ出さざるをえませんでした。「何もかも主にお話ししよう」と決心したのです。
すると、あなたは赦してくださいました。
私の罪は跡形もなく消えたのです。
私は神を信じる人々に、自分の罪に気づいたら、まだ赦される間に神に告白しなさいと、大声で忠告します。
そうすれば、その人はさばきを免れるのです。
Observation
私たちは罪を隠し通そうとします。罪人であることを認めたくないのです。自分の正義で相手を攻撃しているけれども、それは正当なことだと思い込んでいます。しかし、その心の底にある憎しみだったり、怒りだったり、愛されてないことに対する恨みだったり、裏切られたと思い込んでいることが多くあるのです。しかし、実際には自分が罪を犯しているのです。そうすると、実はみじめであり、挫折感にとらわれ、神の御手が重くのしかかっているのです。しかし、私たちの自我はそれを越えて、それを認めたくないのです。しかし、それは喜びを失わせていくのです。
神と共にいる喜びではなく、この世の名誉でごまかそうとするのです。
神の前にさらけ出した時、神様は赦して下さるのです。だからこそ、私たちは自分の心を神様の前にオープンにすることが出来るのです。今まで封じ込めていた罪が跡形もなく消えて行くのです。だからこそ、自分の罪に気づいたら、赦される間に神様に告白しなさいと、大声で忠告します。そうすれば、その人は裁きを免れるからです。
マタイの福音書25章45節から46節では・・・「そこで、わたしはこう言います。『あなたがたが、これらの一番小さい者たちを助けようとしなかったのは、わたしを助けなかったのと同じです。』こうして、この人たちは永遠の刑罰を受け、一方、正しい人たちには永遠のいのちが与えられるのです。」
その人たちが永遠のいのちを得るために、忠告をしていきましょう。
Application
今日の御言葉を通して、福音宣教の大切さを改めて教えられました。私も罪人であり、ただイエス様を信じる恵みに入れられた者として、そして罪から解放された者として歩ませていただいています。日々、神様から離れることを覚える時もあります。罪人の性質をこの世の中で歩む時には持っていますが、ただ赦された喜びの中に生かされています。
だからこそ、私がすべきことは、神様の福音を伝えることです。やはり、尽きることのないエネルギーが出てくるのです。義務でもなく、したくてしかたがないのです。
大声で忠告します。
罪に気づいたら悔い改めましょう。そして、永遠のいのちを得ていきましょう。
Prayer
天の父なる神様、あなたの大いなる御名を賛美します。
罪を隠そうとして歩んでいました。それは私では負いきれることがありませんでした。あなたの前に告白する時に、跡形もなく消えていきました。あなたの愛に感謝します。罪の中に歩んでいるような者ですが、罪に気づいたら悔い改めてあなたの前に立ちかえり、あなたと共に歩む事ができますように助けて下さい。そして何よりもあなたを賛美し、あなたの福音を多くの人たち語り続けることができるように助け導いて下さい。
聖霊様の働きがなければ何もすることができません。あなたの通りよき管として用いて下さい。
あなたの愛に感謝して、私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン!
小間物谷直子
アーメン
honmoku
感謝します。