信仰生活
Scripture
ローマ人への手紙 6章20~23節(2017新改訳)
あなたがたは、罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。ではそのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
Observation
私たちは自分の姿に向き合う事をしません。それは、想像以上に生きることが難しくなるからです。それは私の中にある罪です。
そしてその罪を隠そうとしているのです。「義について自由に振る舞っていた」からです。どういうことかというと、自分が神のようになろうと、自分で義(正しさ)を決めていたのです。この話は昨晩行った月一度は話す「絶対と相対」の話にもつながります。自分の罪を覆うために、人を見下して優越感を持って正しいとしようとしたり、劣等感を努力し続けているから自分は正しいとしたりします。また、こんなにも人のために行動しているから自分は正しいとか、一貫して生きているから自分は正しいと、義について自由に振る舞っているのです。その義を自由にした実は何だったのでしょうか。その行き着くところは死だったのです。
自分は正しいと主張するにも関わらず、罪の報酬は死であり、そこに向かって歩んでいるのです。
では、そこから解放され「永遠のいのち」を得るためにはどうすべきなのでしょうか。
それは、イエスキリストを私の罪の救い主として信じる事です。それを信じるだけです。それが神様の贈り物(賜物)なのです。私たちは自分の努力では救われることがないことを知り、神様の愛であるイエスキリストを信じることで、義とされ、救われ、永遠のいのちを得るのです。
罪の報酬は死!イエスキリストを信じることによって永遠のいのちを得ることを覚えて歩んでいきましょう。
Application
今日教えられたのは、自分で自分を正しい者としようとする力は本当に強いなぁと思わされました。
神様の恵みが分かっていても、そこに引き戻されるのです。これをしているからとか、人の目を気にするとか、まだまだ、自分の力で自分を義(正しい)としようとするのです。
そこから、神様の賜物であることを覚えて、その信仰を強めて歩みたいです。
そのためにも
・神様の恵み、賜物、愛してくださっていることを数え上げよう
・デボーションを通して神様との交わりをしっかりとしていこう
・昨日神様から示された「ゴールデンルール・メソッド」をもっと多くの人たちに知ってもらうことで福音宣教をしていこう!
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
「罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。」という御言葉が心に刺さりました。自分の義で自分を正しいとしようとしていました。そこからイエス様にある永遠のいのちを得ることができました。神様の賜物を受けとることができました。心から感謝いたします。この喜びを多くの人たちに伝えていくことができるように助け導いてください。
今日もあなたの愛に感謝して、私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン!
小間物谷直子
アーメン