信仰生活
Scripture
マルコの福音書 4章14~20節(新改訳2017)
種蒔く人は、みことばを蒔くのです。
道端に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばが蒔かれて彼らが聞くと、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを取り去ります。
岩地に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れますが、
自分の中に根がなく、しばらく続くだけです。後で、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
もう一つの、茨の中に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたのに、
この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んでみことばをふさぐので、実を結ぶことができません。
良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちのことです。」
Observation
働きには色々とあると思います。
特に重要なのが種を蒔く人、育てる人、刈り取る人です。本来ここの箇所では、種を蒔く人よりも、種がどこに蒔かれたかによって違ってくることが記されています。
私たちの現状はどうでしょうか?
道端は、蒔かれて聞いてもサタンが来て、みことばを取り去るのです。
岩地は、喜んで受け入れても、根がなく、困難ことがおこると、すぐにつまずくのです。
茨の中は、みことばを聞いたのに、この世の思い煩いや富の惑わし、色々な欲望でみことばをふさぐので、実を結ばないのです。
最後に良い地に蒔かれると、みことばを聞いて受け入れ、30倍、60倍、100倍の実を結ぶのです。
良い地になるためには、デボーションが一番です。聖書から教えられることです。色々な書物は大切ですが、聖書がすべての答えを持っています。デボーションをすることで、自分の心を整えることが出来るのです。
そして、デボーションを通してみことばを中心に生きていきます。だからこそ、みことばを蒔くことができるようになるのです。ビジネス書や信仰に関する本を読んでも、自分を満足させるだけで、みことばを蒔くことにはならないのです。
私たちがみことばを蒔く人として歩んでいきましょう。
Application
実を結ぶということは、次に種を蒔くことが必要だと思わされました。だからこそ、みことばを蒔くものとして、御言葉から教えられ御言葉に生かされて歩むことが出来ればと思いました。
そのためにも、デボーションを通して御言葉に生かされ、種を蒔き続けていきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
今日もあなたの愛に感謝します。みことばを蒔くものとして歩むことが出来るように、聖霊の導きの中で整えさせてください。そして大胆にみことばを語るものとさせてください。
今日もあなたの恵みに感謝して、救い主イエスキリストの御名でお祈りします。アーメン
佐藤裕子
種を蒔く人。
うーん🤔できるだろうか?と思いました。
自分がチョロっと芽が出たところなんで、しっかりお水を与えることで精一杯です。
今日、31日の小野ちゃんとあんなちゃんの洗礼式に出席するための松山に向う飛行機に乗る為に前泊をしています。飛行機に乗るのも修学旅行以来なので初めてに近く。四国に行くのも初めて。初、初、初‥。今年になってなんと初が多い事だろう。
私が洗礼を受けた時、皆が祝福しに来てくれて本当に嬉しかった。私がしてもらって嬉しかった事をする‥なんて嬉しいんだろう☺️こんなコトに、こんな自分になれた、なんて幸せ者なんだろう!!神様に感謝です。
愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
私の罪の救い主と信じます。
あなたの種が目を出しつつあります。ありがとうございます。
どうぞ、想像もつかないような大きく太い大木に育ち、大きな大きな実を結びますように。あなたが助け導いてください。そして、大きく実を結んだところから種がこぼれ落ちるように種をまく人にしてください。イエス様のお名前でお祈りします。アーメン。
honmoku
祈っています。
小間物谷直子
30倍 60倍の人になりたい。
強く 信仰をもち
根を深く おろし 見せかけのクリスチャンには ならない。
羊が羊の時代は、終わりライオンの時代に
なっている。知らないのは日本人だけ。
聖書よんでるだけでは あかんで。
洗礼は、お祭りではない。
愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。
口先だけの クリスチャンではなく
聖霊の働きにより
神様の僕としての 強い愛ある僕となるように
力と導きを与えてください。
イエス様のお名前によって お祈りさせて頂きます。 アーメン。
honmoku
お祈りしています。