主暦2026年2月7日(土)5786年 Shevant 20
聖書箇所
Scripture:
レビ記 4章2~6節(2017新改訳聖書)
「イスラエルの子らに告げよ。人が、主がしてはならないと命じたすべてのことから離れて、気づかずに罪に陥り、その一つでも行ってしまった、以下のような場合には──
油注がれた祭司が罪に陥って、民が責めを覚える場合には、その祭司は自分が陥った罪のために、傷のない若い雄牛を罪のきよめのささげ物として主に献げる。
彼はその雄牛を会見の天幕の入り口、主の前に連れて行き、雄牛の頭に手を置き、主の前でその雄牛を屠る。
その油注がれた祭司はその雄牛の血を取り、それを会見の天幕に持って入る。
その祭司は指を血に浸し、主の前で、聖所の垂れ幕に向けてその血を七度振りまく。
Observation:
今日の箇所で扱われている罪は、「意図的な反逆」ではなく、「気づかずに陥った罪」である点が重要です。それも油注がれた祭司についてが記されているのです。ここには裁くと言うことだけでなく、神様との回復の道が記されているのです。霊的指導者であっても、誤りを犯す可能性があることが前提とされている点は、とても現実的ですよね。しかもその罪は、本人だけでなく「民が責めを覚える」結果をもたらすという本当に人の存在として否定されるような状況のように思うのです。その時の回復の仕方は、ささげ物の頭に手を置き、自分の罪に向き合い、生け贄を献げるのです。その血は、会見の天幕の奥、垂れ幕の前にまで携えられるのです。これは、罪が神との交わりの場にまで影響を及ぼす一方で、神様の最も近い場でありきよめを行なってくださるのです、七度振りまかれる血は、完全なきよめと回復を象徴しているのです。私たちにとってはそれがイエスキリストの血によって完全に赦されることにつながっているのです。
Application:
自分の罪もただ裁かれるのではなく、神様との関係を回復する手段を神様が提示してくださっています。今はイエスキリストの十字架の血潮によって罪赦されるのです。それはどのような人でも大丈夫なのです。イエス様が罪を贖ってくださったからです。ただイエス様を信じることで義とされ、告白して救われるのです。レビ記の赦しの内容が新約聖書にいかされるのです。だからこそ、罪の精算があるかもしれませんが、神様の前には赦されているからこそ、その恵みにいかされて福音を伝えていきます。また夢を解き放つ愛のリーダーを育てていきます。
祈りましょう(Prayer):
天の父なる神様、尊い御名を賛美いたします。
あなたが、私の弱さや無自覚な罪をも知り、それでも近づく道を閉ざさない方であることを感謝します。私は、自分でも気づかないうちに、あなたの御心から外れてしまうことがあります。どうか、あなたの光で私の心を照らし、責めではなく、回復へと導いてください。
今日、あなたの前に正直に立ち、きよめと新しい歩みを受け取ります。あなたの恵みに信頼します。
我が子よ。あなたの重荷をわたしに預けよ。わたしがその荷を背負う。わたしはあなたにわたしの荷を背負わせる。恐れることなく、前に向かって進みなさい。あなたの犯した罪のゆえに、あなたはわたしの恵みが豊かにあることを知っている。わたしの愛と恵みを多くの人たちに伝えなさい。わたしはあなたを祝福する。その祝福はわたしがあなたと共にいることだ。あなたのプライドが砕かれて、わたしの心に変わるようにわたしはあなたと共に歩む。恐れることはなく、前に向かって進みなさい。わたしがあなたと共にいるからだ。
今日もSharing Church、 Kahului Union Church、Tree Home churchを祝福して、教会員の一人ひとりをお守りください。病んでいる人、特にK.T.さんを癒してください。もっと愛が語られ、世界が平和になりますように祈ります。 エルサレムの平和のために祈ります。今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!
