主暦2026年3月21日(土)5786年 Nisan 3
聖書箇所
Scripture:
ヨシュア記 11章19~22節(2017新改訳聖書)
ギブオンの住民であるヒビ人以外に、イスラエルの子らと和を講じた町は一つもなかった。イスラエルの子らは戦って、すべてを奪い取った。
彼らの心を頑なにし、イスラエルに立ち向かって戦わせたのは、主から出たことであった。それは、彼らを容赦なく聖絶するため、主がモーセに命じられたとおりに彼らを根絶やしにするためであった。
そのときヨシュアは行って、アナク人を山地、ヘブロン、デビル、アナブ、ユダのすべての山地、イスラエルのすべての山地から断った。その町々とともにヨシュアは彼らを聖絶した。
こうしてアナク人は、イスラエルの子らの地には残らなかった。ただガザ、ガテ、アシュドデに残るのみとなった。
Observation:
この箇所は、ヨシュアによる約束の地の征服がほぼ完了したことを示しています。ここで「アナク人」について語られています。アナク人は巨大な体格を持つ民であり、かつてイスラエルの偵察隊が恐れて報告した存在でした(民数記13章)。当時イスラエルの人々は、「自分たちはバッタのように見えた」と恐れたことが記されています。しかしここでは、その恐れの象徴であったアナク人が完全に取り除かれたことが記されています。
また、この戦いは単なる民族間の争いではなく、神の裁きの実行として描かれていることに注目すべきです。カナンの民の罪は長い間積み重なっており、神はその裁きを行われたのです。
この出来事は、神が約束されたことを確実に成し遂げられる方であることを示しています。イスラエルが恐れていた敵でさえ、神の力の前では最終的に取り除かれるのです。人の目には不可能に見えることでも、神の計画の中では成し遂げられることを知りましょう。ただしここでもう一つ重要なのが、アナク人で残された者たちがいたことです。残されたことで、私たちの時代にも影響が出ているように思うのです。
Application:
神様の裁きがあることを覚える時に、神様に対して敵対する者たちが滅んでいくのです。これは、この終末にとって大切な見方です。福音派の終末論が言われていますが、神様の前に立ち返ることの方が優先すべきことです。私たちがこの裁きを通して知る必要があるのが、神様に立ち返ることであることを覚えて歩んでいきましょう。
祈りましょう(Prayer):
アバ父よ、あなたの尊い御名を賛美いたします。
今日もあなたの愛と恵みを与えてくださっていることに感謝します。裁きを通してあなたの前に立ち返り、あなたと共に歩むことができるように助けてください。あなたが約束を果たされる方であることを覚えます。心から感謝します。
今日もSharing Church、 Kahului Union Church、Tree Home churchを祝福して、教会員の一人ひとりをお守りください。病んでいる人、特にK.T.さんを癒してください。もっと愛が語られ、世界が平和になりますように祈ります。 エルサレムの平和のために祈ります。今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!
