4件のコメント

  1. 佐藤裕子

    むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。

    喜ばす相手が人である場合。認めて欲しいとか褒めて欲しいとか…見返りの賞賛がないとガッカリして、それが怒りや悲しみに変わる。それはエゴの成せるワザ。そこじゃないってことがどんなに大切かを気づかせてもらった。そもそもは神さまを見ていたはずなのに。いつのまにか人に、そしていつのまにか人の態度で満足したりガッカリしたり。自分はどこを見てるのか?をそして、どこを見るべきなのか?をはっきり気づかせてもらった。
    愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
    あなたの愛に感謝します。すべてにおいてこの世界を愛でおさめるあなたなのだから。あなただけを見つめて行くことで揺らがない私でいられることをありがとうございます。感謝してイエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン。

  2. 小間物谷直子

    私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。

    色々なブローカーがやってきたり
    なにが 本物で 偽物なのか?
    きちんと 見極めないと 利用されたり
    反対に人に迷惑をかけたりとか
    間違いがないのは
    神によろこんでいただくことですね。

    愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。気づきをありがとうございます。
    神に喜んでいただけること
    こころから。福音 聖書のこと
    私自身が 神とともにいてる事で
    喜んでいないと そして平安でいること
    神さまを伝えたくて伝えたくてが 
    滲みでてぐらいに。
    家族をお守りください。
    私と関わる方が 神を祝福することが
    できますように 
    イエス様のお名前によって、感謝してお祈りさせていただきます。
    アーメン

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