今日の聖書箇所
Scripture:
ガラテヤ人への手紙 2章20~21節(2017新改訳聖書)
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。
私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。
Observation
今日からガラテヤ人への手紙になりました。
ここで心のあり方が変わっていることが記されています。私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
では、どのようにしてキリストが私のうちに生きているのかというと、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。
心の変化は信仰によるのです。
ではどうしてその信仰が形成されたのでしょうか。
「私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。」
つまり信仰によって義とされるという神様の恵みがわかったからです。
律法や行いによって義と認められることであるならば、本気で求めている人はわかると思いますが、得られないのです。罪が私の中に存在しているからです。どんなに瞑想しても、どんなに修行しても、解釈を変えても、罪を取り去ることはできないのです。そして罪があるからこそ、その罪と戦っている自分に酔うという実存主義に走っていくのです。
罪の問題を解決できないのです。自分では義とされないからです。
私たちは神の恵みに生かされているのです。神様がイエス様を罪からの救い主であることを信じる信仰によって義と認め、罪から救われ、永遠の命を得ることができるのです。私たちはどこかで、自分の力で義となることを選ぼうとします。それが罪の現れだからです。この神の恵みと無にしない生き方を選んでいきましょう。そうでなければ、キリストの死は無意味になってしまいますから!
Application
行いによって義と認められるようにしようとします。それが律法による義です。
そこに向かってデボーションをしてしまう可能性もあります。そうではなく、あくまで神様に赦されている愛されている恵みに生かされているからこそ、前に向かって力強く歩むことができるのです。
そのためにも
①デボーションを通して神様の恵みを受け取り、感謝して歩んでいこう!
②隔たりなく愛を語るように示されました。受け入れるかはその人たちの問題として扱うように言われています。そのように歩んでいきます。
③ゴールデンルール・メソッド®︎を多くの人たちに伝える準備をしていこう!
祈りましょう(Prayer):
天の父なる神様
あなたのお名前を賛美します。
今日も御言葉をありがとうございます。キリストの死が無駄にならないように、神様の恵みに生かされ、愛の中に歩むことができるように助け導いてください。今日もシェアリングチャーチ、ホームチャーチに集っている人たちを祝福してください。聖霊によって力を得た者たちが立ち上がりリバイバルが起こされますように。来週のメッセージがあなたの助けの中で御言葉を取り継ぐことができるように助けてください。被災されている方や、病気の方々をあなたが励まし、癒してください。家族をキリストの十字架の血潮によって守ってください。世界が悪魔崇拝者たちによって混乱しています。岸田首相をはじめ、公務員、議員の一人一人を祝福してください。
今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!
佐藤裕子
私は神の恵みを無にはしません。
アーメンです。神さまの恵みにより救われたのは身に染みて覚えています。手を離した覚えはないけど、神さまの光を失った世界も知っています。3日くらいだったと思うけど今思うとそれ以上の長い期間だったような気さえします。イエス様の復活までの3日間、闇の世界に行っていたのは想像を絶するよなぁと。そして、私のと比べるのはおかしいけど😅その前に十字架にかかってるわけで。それを思うと本当に感謝なんだと。今。『もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです』のようになれますように。
愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。私の救い主と信じます。
今日の御言葉をありがとうございます。
あなたに救われたことを覚えて、生きます。あなたに信頼して委ねることを助けてください。感謝して愛するイエス様のお名前でお祈りします。アーメン。
honmoku
キリストが私のうちに生きている!
感謝なこととして歩んでいきましょう。
祈っています。
小間物谷直子
もし私たちが、律法を守ることによって救われるなら、キリストが死ぬ必要などなかったはずですから。
ほんとうにそうです。
なんのためにがなくなってしまう。
イエス様の あの苦しみは
どうなってしまうのでしょう。
私達の罪は 相当なものですね。
イエス様が受けたあの苦しみが私達の罪なのですから。
そして そのイエス様によって
守られて この世を生きている
私達は もっと感謝して
このgood newsを 積極的につたえていかないとですね。
それぞれのイエス様があたえられた場所
時に。
愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。貴方のことをいつも忘れずに
その都度 貴方との関係をふりかえり
貴方といつも 会話できるように
もっともっと 時間を与えてください。
そして導いてください。
イエス様のお名前によって 感謝して
お祈りさせて頂きます。
アーメン
honmoku
福音、イエス様の十字架の死と復活を伝えていきましょう。
祈っています。