4件のコメント

  1. 佐藤裕子

    口に入る物はみな、腹に入り、排泄されて外に出されることが分からないのですか。
    しかし、口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。
    悪い考え、殺人、姦淫、淫らな行い、盗み、偽証、ののしりは、心から出て来るからです。

    身体は食べるモノで作られているのかもしれない。心は何で作られているんだろう?
    愛する心、愛しむ心もあるし、悪い考えや憎しみの心もある。心の正体は何だろう?
    何で出来ているのかはわからないが私的には、それらはみんな私の中にあると思う。一つ一つ、出てきた時に捕まえて吟味しなければならない。その捕まえることも吟味することも、その人それぞれのテンポで日々を過ごしているかどうかにかかってくるのではないか?『忙しい』と巻きで日々を過ごすことが多いとスルーしてしまい、捕まえることも吟味することもできないような気がする。人それぞれのテンポは神さまと共に歩くテンポなんだ。
    愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
    今日の御言葉をありがとうございます。
    悪い心も良い心も私の中に存在します。あなたと共に歩くテンポで気づくようにしてください。感謝してイエス様のお名前でお祈りします。アーメン。

  2. 小間物谷直子

    これらのものが人を汚します。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。

    だから 水のバクテスマが大事なのかも
    しれません。
    だから コミニケーション力が必要なのですが、かといって
    だったら 喋らなかったら良いじゃないと
    言う人がいました。
    でも 聖書では、はじめに言葉があったですから、言葉がすごく大事
    このときに 毎日の生活のなかでの
    物事の捉え方 言葉 それも ちょっとしたことで その人のことが
    わかる人には わかるし わからない人にはわからない。イエス様が
    例え話や 各地を廻られる聖書の中から
    私達は、読み取っていかなければならないのでしょうけれど
    そこには、神の義はあるのか?ないのか?でしょう。
    聖書を本として読むのか?
    それとも 聖書をイエス様の言葉として
    聞くのか?

    愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。 気づきをありがとうございます。
    言葉は、本当にだいじです。
    大事だからこそ 言葉によって意思表示は
    しないといけない。聖書のなかで
    貴方は、たくさんのことを語ってくださりました。このことを忘れずに
    言葉をだいじにし 前進できると確信して
    イエス様のお名前によって
    感謝してお祈りさせて頂きます。アーメン

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