信仰生活
Scripture
テサロニケ人への手紙 第二 3章14~16節(新改訳2017)
もし、この手紙に書いた私たちのことばに従わない者がいれば、そのような人には注意を払い、交際しないようにしなさい。その人が恥じ入るようになるためです。
しかし、敵とは見なさないで、兄弟として諭しなさい。
どうか、平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてとともにいてくださいますように。
Observation
この手紙は私たちにとって方向性を示すものです。人には色々な意図があります。クリスチャンとか牧師であっても、自分の思想を持っています。自分が読んだ聖書の読み方が正しいと思って人を攻撃する人がいます。
聖書ではその人たちをゆるすように教えられます。それだからといって、一緒に何かを行うのかというと、そうではないのです。
「私たちのことばに従わない者がいれば、そのような人には注意を払い、交際しないようにしなさい。」と言われているのです。
しかし、同時に「敵とは見なさないで、兄弟として諭しなさい。」と言われているのです。
敵ではないのです。ですから、その人たちのために祈る必要がありますし、兄弟として諭す必要があるのです。それでもだめなら、交際をしないようにするのです。
信仰を持って歩む時に、妨害されます。今Twitterをみていても、表現の違いで攻撃するクリスチャンがいます。聖書を自分のこととして読んでいないなぁと思うのです。平和の主ご自身が、平和を与えてくださることと、共にいてくださることを願い、祈り、愛し合うことをしていく必要があるのです。
私たちはこの平和の主ご自身を中心に、共に兄弟として歩むことが求められているのです。
Application
ちょうど昨日、我が家でこのような話になりました。聖書では人を赦すように言われていて、でも一緒にはできないよね。赦すことと一緒に行うことは別だよね。とか話していました。その答えとなる御言葉でした。違うなら交際することはできないのです。しかし、だからといって敵ではないのです。兄弟として諭す必要があるのです。
昨日、私もこれはどういうことですかと諭されました。祈って語ってくださっているのに、対立しようとする私がいるのです。平和が崩れていくのです。
電話をかけ直して、話をすることが出来たのも主が導いてくださいました。そしてお互いに祈りをささげ、終えることができました。そう言ってもられることに感謝なのに、神様の方向から離れていこうとする自分がいるのです。
平和の主ご自身を中心に、共に今日だとして歩むことが求められているのです。
裁くのは神様の働きですから、私が裁く必要はありません。そして私も絶対ではありませんし、間違えが多くあるのです。だからこそ、それることがないように、デボーションを通して教えられたことを分かち合うことが必要だと思っています。今日も祈りつつ、聖霊の導きを求めて歩んでいきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
平和の主ご自身に感謝します。自分の我を通すことではなく、信仰の基準、聖書にあることを中心に教えられ、悔い改め、あなたに立ちかえっていくことができるように助けて下さい。
あなたがいつも御言葉を与えてくださり、導いてくださっていることに感謝します。
あなたと共にすべての人たちと歩む事ができるように助けて下さい。
今日もあなたの愛に感謝して、私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン!
小間物谷直子
アーメン
honmoku
祈っています。