4件のコメント

  1. 佐藤裕子

    それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。

    昔からそーだった。自分から何か言うことが苦手。どーしてそーなったの?と聞かれたら話せるけど、聞いて!聞いて!とはならない。きっと、創価学会の時のトラウマだろうと思っているけど。いつも引っかかる。選挙の時も、新聞啓蒙の時も、ましてや折伏も心の中で戦いだった。信じて疑わないのはイイんだけど。自分の中だけで完結したらダメなのかな?そのうち自然に伝えたいと思えるのかな?
    愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
    自分から事を起こすことが苦手です。それでも価値はあるのでしょうか?どんな価値があるのか?私にわかるように教えてください。感謝してイエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン。

    • 自分から何かを言うのが苦手ですよね。私もです。もしかしたら、私は美味しい蕎麦が好きですから、あそこのお店美味しかったよ。と言うことはできるのではないかと思います。
      また、何を言おうかと迷う必要はなく、その時に応じて話すことでもいいと思います。
      私たちは話したい時に話せるのですから・・・心配ないです。
      祈っています。

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