信仰生活
Scripture
ガラテヤ人への手紙 5章17~26節
肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。
御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。
Observation
私の内側には二つが対立して存在しています。
肉のわざと御霊の実の違いです。
肉のわざは神の国を相続できないと明確に記されているのです。
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたからこそ、御霊によって進むことが必要なのです。
Application
ガラテヤ人への手紙 5章4~6節
律法によって義と認められようとしているなら、あなたがたはキリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
私たちは、義とされる望みの実現を、信仰により、御霊によって待ち望んでいるのですから。
キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。
今日は長い聖書箇所となりました。私の中になる肉の思いがあるのです。それが私の生き方でしたし、ちょっとしたことで今でも私の中に生まれくるのです。私のDNAには罪の性質がしっかりと刻み込まれていることを今日も確認させられました。
こんな自分が変わることができたのは、神様の愛によって働く信仰によって、イエス様を信じたことです。
それと同時に、私のうちに御霊が働いてくださっているのです。この42日間を通して、御霊(聖霊)が私を通して働かれやすいように、悔い改め、断ちきりの祈りをしました。それでも毎日のように自分の中の肉の思いとの戦いがあります。
だからこそ、聖霊によって満たされる必要があることを教えられ続けてきました。それによって、御霊の実を聖霊の助けによって、つけることが喜びであることを知りました。
「時を戻そう」何てことが出来ればいいのですが、現実は違っているのです。肉の思いが強いですし、それによって蒔かれた種を刈り取っています。弱い部分が残っているので、うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。ということを肝に銘じて歩みたいです。
そしてそれ以上に、イエスキリストの愛によって働く信仰によって歩む事を御霊の力を借りながら行っていきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたの御名を賛美します。
神様、イエス様の愛によって働く信仰によって、いつも御霊に満たされ、あなたの栄光を顕すことができるように助けて下さい。肉の思いがあるときには、祈ることを通して御霊の実を表すことが出来るように導いて下さい。
あなたの愛に感謝しています。
イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!