今日のデボーション聖書箇所
信仰生活
Scripture
マタイの福音書13章37節〜43節(LB訳)
イエスは、お答えになりました。「いいでしょう。良い麦の種をまく農夫とは、わたしです。畑とはこの世界、良い麦の種というのは天国に属する人々、毒麦とは悪魔に属する人々のことです。 畑に毒麦の種をまいた者とは悪魔であり、収穫の時とはこの世の終わり、刈り入れをする人とは天使たちのことです。この話では、毒麦がより分けられ、焼かれますが、この世の終わりにも同じようなことが起こります。わたしは天使を送って、人をそそのかす者や悪人たちをより分け、炉に投げ込んで燃やしてしまいます。悪人たちは、そこで泣いて歯ぎしりするのです。その時、正しい人たちは、父の国で太陽のように輝きます。聞く耳のある人はよく聞きなさい。
Observation
麦と毒麦のたとえ話の解説です。
キーワードは
畑=世界
良い麦の種=天国に属する人
毒麦=悪魔に属する人
畑に毒麦を蒔いた敵=悪魔
収穫の時=世の終わり
刈り入れをする人たち=天使
そしてこのたとえ話にある世の終わりが今の世の中であるとすると、実を見極める時であることがわかるのです。
悪魔崇拝者たちがどのような事を罠として仕掛けてきていて、キリストを信じる者が知らない間に受け入れてしまっているかを知らなければなりません。彼らは人種差別、平等を叫びながら、キリスト教会に忍び寄っているのです。その先は神礼拝ではなく、悪魔崇拝の考え方をクリスチャンにもインプットしているのです。長い年月をかけ、毒麦の実が結ばれつつあるのです。私にとっては昨年のトランプ大統領の選挙の時に明確になったことを知りました。
毒麦の人たちは、人をそそのかす者、悪人たちです。多くの嘘や恐れを使って、また自分の声に従おうとか、風の時代だとかをいいながら、確実に悪魔崇拝へと人々を導こうとしているのです。しかし、最終的には炉に投げ込まれて燃やされるのです。その時に正しい人たちは、父の国で太陽のように輝くのです。
Application
昨日も書きましたが、神様は尊厳を大切にされるのです。しかし、悪魔崇拝者たちは人の尊厳を踏み潰して歩もうとするのです。人を物のように扱うのです。
私自身についても、元々罪人であり、そそのかす者であり、悪人です。ただ、イエスキリストによって罪赦されただけです。イエス様を罪からの救い主であることを信じることが出来ただけです。もちろん、これも神様の恵みでしかないのです。
いつもその誘惑があり、いつでも悪人となり得るのです。そのことを踏まえた上で、どんなに素晴らしいことをしても、イエス様を罪からの救い主として信じない限り、義とされることはありません。また救われることもないのです。同時に、イエス様を罪からの救い主であることを信じることで、自分が良い麦の種であることを自覚するのです。良い実を結んで歩むことがしていくのです。自分に与えられた賜物を用いて、人々に良い種を分けていくことが重要です。ですから、福音を伝えることがわたしの使命となるのです。
毒麦は炉に投げ込まれます。誰が毒麦かは分からないです。だかこそ、福音を通して天使がより分けていくのです。
その使命を果たすために、神と共に歩むことを選び、デボーションを通して神様との会話を楽しみ、イエス様の愛の素晴らしさに満たされ、聖霊の助けによって多くの人たちに福音を伝えていきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたの御名を賛美します。
今は世の終わりであると実感できるほど、悪魔崇拝者たちがハッキリと分かるようになりました。だからこそ、福音をしっかりと語り、あなたの愛に立ち帰ることができるように語り続けることができるように聖霊によって助けて下さい。自分の中にある罪ではなく、イエス様の香りを放っていくことができるように導いて下さい。
今日もあなたの愛に感謝して!!
私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン!
小間物谷直子
アーメン。収穫は多いが、働きては
少ないの御言葉を思いだしました。
honmoku
ありがとうございます