今日の聖書箇所
Scripture:
ルカの福音書 7章47~50節(新改訳2017)
ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
そして彼女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。
すると、ともに食卓に着いていた人たちは、自分たちの間で言い始めた。「罪を赦すことさえするこの人は、いったいだれなのか。」
イエスは彼女に言われた。「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
Observation:
愛されていることを実感することが、問題解決の近道になります。その人にとって重要な人物との関係がとても大切です。そして自分の愛にこだわり、敵を作っていきます。この原理が私たちを悩ませ、愛されていないように感じるのです。その隔ての壁を越えるのが、神様の愛です。
私たちが神様の愛に立って対応するときにも、自分の愛と相手の愛の違いで対立するのです。
多くの罪が赦されたということがわかったら、愛することも多くなります。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。
私たちはどこまでいっても罪人であり、その分神様から赦されたことに感謝できるのです。
それは神の言葉に従うことです。信仰は神様の確かさから生まれてくるからです。
Application:
昨日のミーティングは、それぞれの愛を主張する時となりました。そして自分の義を主張するのです。そこでは聖書で何て書いてあるのかではなく、聖書の原則に生きることなく、自分の愛の原則を貫こうとしているのです。
そして人を批判するような「あなたには憎しみがある」と平気でいうのです。
聖書ではこのような場合は、食事もしてはいけないとあるのに、敵を愛しなさいとあるから、食事をしないといけないと主張するのです。人からどう見られるかを気にすると罠にかかるのに、人からこのように見られますと自分の愛を主張するのです。
どんなに誹謗中傷をされてもルカの福音書 7章35節にあるように「しかし、知恵が正しいことは、すべての知恵の子らが証明します。」となるのです。ルカらしい表現です。
私たちは神様に対する信仰、神様にどれだけ赦されたかが愛の基準となるのです。ヨハネの福音書もそのことを指摘しているのです。人に愛されることを求めることではなく、神に愛されていること、神様との関係を深めるように言われているのです。
私は自分の義を主張します。そして神様に裁きを委ねていきます。その人を裁くのではなく、その人の行為を注意しているのです。聖書はそこに矛盾がないように思うのです。
それと同時に、もっと多くの人たちに伝えていくことが必要であり、そのために自分のプライドなどを捨てて、神様の愛が拡がることを祈り、願い求めることが大切だと教えられました。
祈りましょう(Prayer):
天のお父様、あなたのお名前を賛美します。昨日は怒りもありましたが、同時に境界線を引くことができたことに感謝します。人を見るのではなく、あなたを見上げるときに、自分がいかに罪人であるかを覚えます。だからこそ、あなたの愛に赦されているからこそ、その人を裁くのではなく、その人の行為を注意することができるように導いてください。今日の御言葉をタイムリーに与えてくださって感謝します。今、起きようとしている問題を知恵を持って対応することができるように助けてください。また、あなたの愛に生かされ、多くの人たちに愛の違いを説くことができるように助けてください。今日の礼拝を祝福してください。シェアリングチャーチ、カフルイユニオンチャーチ、Tree Home church、みもみ教会に属している一人ひとり、宣教師訓練センターの働きを祝福してくださることを感謝します。病んでいる一人ひとりを癒してください。日本と世界の政治を祝福してください。終末の兆候が見られる中、あなたの愛が輝き、多くの人たちがあなたを信じることができるように助けてください。
今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!
小間物谷直子
それから、ひざまずいている女のほうをふり向き、シモンに言われました。「ほら、この女を見なさい。わたしがこの家に来た時、あなたは足を洗う水さえ出してくれませんでした。ところがこの女は、涙でわたしの足を洗い、髪でふいてくれました。 45 あなたはあいさつの口づけをしてくれませんでしたが、この女はわたしが入って来た時から、何度も足に口づけしてくれました。 46 あなたはわたしの頭にオリーブ油を注いでくれましたか。この女は、わたしの足にこんなに高価な香油を注いでくれたのです。 47 この女の多くの罪が赦されたからです。そして、わたしを多く愛してくれたから
いつも 口だけでなく 行動で示して欲しいという自分がいます。
それを、相手にも求めてしまいます。
しかし この箇所から
イエス様は、相手にそんなこと
いつも これポッチも 望んでないのです。たぶん いま この箇所を選んだということは 相手は相手であり
私自身は、愛を持って集中して
接していきたいと。
行かなければならないと言うこと
聖霊によって 祝福をうけてること
神が今までしてくださったことわ
何一つ忘れてはならないと言うこと。
愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。気づきをありがとうございます。
聖霊様からあたえられた祝福に
感謝し、歩んでいけることありがとうございます。
神のご計画は、わかりませんが
すべてのことには 貴方の意図があると
思っています。貴方を信じ
貴方に栄光をお返しして
前進できること ありがとうございます。
家族をお守りください。
私と関わるすべての人に神の祝福が
届きますように。
イエス様のお名前によって 感謝して
お祈りさせていただきます。
アーメン
honmoku
信仰とか愛は行動が大切ですからね。
祈っています。