信仰生活
Scripture
マルコの福音書 9章38~41節
ヨハネがイエスに言った。「先生。あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようとしました。その人が私たちについて来なかったからです。」
しかし、イエスは言われた。「やめさせてはいけません。わたしの名を唱えて力あるわざを行い、そのすぐ後に、わたしを悪く言える人はいません。
わたしたちに反対しない人は、わたしたちの味方です。
まことに、あなたがたに言います。あなたがたがキリストに属する者だということで、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありません。
Observation
自分が何に属しているのとか、党派心とかが生まれてくる。その中でイエス様の答えは「わたしたちに反対しない人は、私たちの味方です。」というのです。そしてキリストに属する者だと言うことで、一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがないと言われているのです。
Application
昨晩は聖書の勉強会をZOOMで行いました。久しぶりに信仰義認の話になりました。自分がどれだけ罪人であるかを自覚する必要があるのかも知れないと、終わった後で思いました。罪人だからこそ、神様によって赦され、愛され、価値ある者とされ、義とされているという神様の恵みが分かるようになるのです。
私が行っている言動が神様から遠く離れるような者だからこそ、それをも赦し、愛してくださっている恵みの大きさに感謝しかないのです。
今日の箇所を祈りながら、自分の中にもある党派心とか、属していることを誇ろうとする気持ちをチェックすることができました。本来、世界中のクリスチャンがキリストの身体の一部であり、それが一つのキリストの身体を築き上げているのです。役割も違いますし、表現の方法も違います。それなのに、自分がいつもイエス様と共にいる、私は神様とのつながりがあるからすごいクリスチャンだと自覚することで、自分は正しいと思い、敵意が生まれてくるのです。
しかし、イエス様は私たちに語られるのです。「やめさせてはいけません。わたしの名を唱えて力あるわざを行い、そのすぐ後に、わたしを悪く言える人はいません。わたしたちに反対しない人は、わたしたちの味方です。」
味方なのだということを覚える必要があるのです。
その味方を明確にするために、次のことが言われているのです。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたがキリストに属する者だということで、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありません。」
キリストに属する者だということで、一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありませんと言われているのです。行動コミュニケーション学をクローズから一般に開放するときに祈りました。「これを開放すると多くの問題が解決し、あなたに結びつかない人たちが出てきます。それでもいいのでしょうか」と祈りました。そのときの答えも「この報いてくださる」という返事でした。このプログラムを受け入れてくださった人たちを報いてくださる、神様の約束がそこにあるのなら、開放していこうと決心がついたのです。
神様の味方は、イエス様の御名で力ある業を行っている人たちであり、キリストに属する者だと知って一杯の水を与えて下さる人たちなのです。
これからシェアリング・チャーチを進めていく中で、この基準を持ってキリストの身体を建て上げていきたいと思わされ、祈りつつ実行していきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたの御名を賛美します。今日も御言葉をありがとうございます。あなたの愛に生かされ、恵みの中にいることに感謝いたします。今日は味方について教えられました。私の中にある党派心などが取り除かれ、ただあなたの愛が多くの人に伝えられていきますように助けて下さい。
今日もあなたの祝福の中を歩む事ができますように助けて下さい。
あなたの愛に心から感謝します。
イエス様のお名前でお祈りします。 アーメン!