4件のコメント

  1. 佐藤裕子

    それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
    自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。
    人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。

    私の十字架は健康なんだと思う。人と違うこと、なかなか痛みがおさまらずくすぶっていることに焦りを抱いていましたが、それぞれなんだからそれでいいんですね。ふとした時に、『本当に良くなりたいのか?』とサタンの囁きが私を揺らします。私らしく私のペースで元気になっていくことを神さまは望んでいるんですね!コレは私の大事な十字架だから。楽しんで手放して行きます♪
    愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
    あなたの愛の中ですべてを与えられていると言うことをありがとうございます。もっともっと幸せを感じながら生きます。感謝してイエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン。

    • 私の左手も治って欲しいと願っていましたが、それから50年は経っていますが、いまだに治っていません。
      きっと、天国に行った時に左腕が不自由な人と言われてはい私です。って言いやすいようにしているのかも、知らんけど!
      その弱さがあるからこそ、神様のことを覚えることができるのです。
      そういう意味で、いつも感謝しています。
      でも心の中では、癒されたらいいなぁと思っているのも事実です。

  2. 佐藤裕子

    言い訳を残しておくくらいの余裕があると追い込まれないのかもしれないですね。そんなふうに力んじゃ神さまだってどーしようもない。弱さを認めていくことなんですね。
    感謝します。

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