信仰生活
Scripture
マルコの福音書 12章38~40節(新改訳2017)
イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちに気をつけなさい。彼らが願うのは、長い衣を着て歩き回ること、広場であいさつされること、
会堂で上席に、宴会で上座に座ることです。
また、やもめたちの家を食い尽くし、見栄を張って長く祈ります。こういう人たちは、より厳しい罰を受けます。」
Observation
マルコの福音書は勇タイプ向けと言っているのですが、その理由の一つに人の教え、人の法則を壊そうとする内容が多いように思いました。律法学者パリサイ人が語っている人の教えに対して、神の教えは何か、その本質は何かを書き続けているように思うのですが、いかがでしょうか。
この後の記事は、貧しいやもめの話がでてきます。富んでいる者は有り余る中から献げ、この貧しいやもめは全てを献げていくのです。この違いをマルコの福音書は明確に語るのです。私たちの心はどうなっているのか、自分の心を点検していく必要があるのです。律法学者パリサイ人のようになっていることを、点検する必要があるのです。
Application
自分は大丈夫、自分は注意しているからと言いやすい義タイプの私です。だからこそ、気を付けなればならないと思わされました。正しいことは言うけど、自分が実践できていなければならないからです。今日も献げることもそうですが、人に見せる生き方ではなく、神に喜ばれる生き方をしていきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
人に見せるために行動しやすい者ですが、いつもあなたの愛の中にあって、あなたと共に歩むことができるように助けてください。多くのクリスチャンがイバラの中で、この世の習わしに惑わされてしまいます。そこから解放してくださいますように、導いてください。そう言う自分もいつも御言葉に照らし合わせて、あなたの導きの中で歩むように助けてください。
今日もあなたの恵みに感謝して、救い主イエスキリストの御名でお祈りします。アーメン
小間物谷直子
タテマエと本音が違う人
もう そればれてるでとと自分のなかで
思い 義タイプ特有の ちゃぶ台ひっくり返しをしてしまう自分があります。
また 神様はこう言う人を引き合わせるのです。 これが弟子訓練なんでしょうか?
だったら 私はどうなんでしょう。
忍耐して 自分自身がそうならないよう
悔い改めて 前進いたします。
愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。
いつも 自分はどうなのかと
ふりかえり 悔い改め前進する僕として
導いてください。そして 悪霊から
守ってください。
イエス様のお名前によって お祈りさせていただきます。 アーメン
honmoku
義タイプは本当に感謝が必要です。
人をジャッジするのは、自分の弱さからです。だからこそ、自分を受け入れるためにも感謝が必要です。
そして、神様の導きに自分を合わせることです。
私もそうですが、自分の欲に引きずられてしまうのです。
全てのことを感謝することで、全てのエネルギーが変わります。
感謝して祈り、喜んで善を行うことをしていきましょう。
祈っています。
佐藤裕子
いつでも、人の顔色を伺って取っていても、何故か裏目に出る事が多く‥😅いつしか、自分に自信がなくなり‥😩その場から動けなくなりました。
それは人にフォーカスしてたからだと気づきました。神様にフォーカスすればもっとノビノビと生きて行けるんですね。
愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
私の罪の救い主と信じます。
人の顔色、人の目を気にしていたあまり自分に自信をなくしていたと気づかせていただきました。感謝です。どうぞ、神様の前で自分らしく自信を持って堂々と生きて行くことができるように助け導いてください。
主の導きによって、もっと人のために生きる事ができるように。イエス様のお名前でお祈りします。アーメン。
honmoku
神様にフォーカスをして歩んでいきましょう。
大丈夫ですからね。
祝福がありますように祈っています。