信仰生活
Scripture
エペソ人への手紙 4章29~32節
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
Observation
私たちはどのような生き方をしていきたいのでしょうか。古い人を脱ぎ捨て、キリストを着ることができるといいですよね。そのためには、「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」とあります。親切にし、心の優しい人となること、互いに赦し合えることにつながります。
しかし、私の現状は「悪い言葉」を使い、徳を養うことよりも、ドリームキラーのように批判したり、聖霊を悲しませるようなことをしてしまうのです。それが、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。といわれるのです。私の中にある悪意をすべて(みな)捨てさりなさいと言われているのです。なぜなら、神がキリストの十字架の死によって私たちを赦して下さったからです。
私たちはその赦しの中に生きる(恵みの中に生きる)者として、親切にし、心の優しい人となり、互いに赦しあうのです。
Application
自分のことを振り返ってみて、聖霊の証印を消してしまうことがあります。無慈悲、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしり、いっさいの悪意がメラメラと出てくるのです。それは自分の欲が強くなるときです。このようなときにこそ、悪い言葉を語らないだけではなく、徳を養うこと、聞く人に恵みを与えることを語ることが必要だと教えられたのです。
自分が神様によって赦されている存在として、人を赦していく!その罪を忘れていくということが重要ですし、苦い根になるならば、離れていくことで赦すことができるならば、離れた方がいいでしょう。
今日も自分の中にある悪意が生まれたときにこそ、徳を養う言葉に置き換えて、聖霊を悲しませないようにし、赦されている喜びに向かって歩んで行きたいと思わされました。
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
今日もあなたの御言葉に感謝いたします。神様がイエス様を通して私たちを愛し赦して下さった恵みに感謝いたします。その赦しがあるからこそ、親切で、心優しく、互いに赦し合うことができるように助けて下さい。
私たちは一人ではなく、お互いに支え合うことが必要です。赦し合い、愛し合って歩めるように聖霊の助けの中で導いて下さい。
私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン!
佐藤裕子
昨日は私の為に祈ってくださってありがとうございます。
今朝、目覚めた時、なんだか生まれ変わった感じがしました。罪を赦してもらえるとホッとしたのかもしれません。自分を認め受入れる事が出来なかったから経済的に満たされなかったのかな?とも思いました。自分の賜物をあらためて認識することで認められると言う事も知りました。まだ、涙は出てきますが、涙は浄化とも聞きますので出るに任せようと思います。
ここまでの道のりはとっても辛いものだったけど、ちゃんと神さまが導いてくださったんだと思え、感謝でいっぱいです!!
私が見てる世界が素晴らしいと思えるのは幸せですね。
ありがとうございます。
honmoku
神様の愛によって見える世界が変わってきます。
お祈りしていますね。