3件のコメント

  1. 小間物谷直子

    それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。

    以前 お客様で阪大の医学部の教授が見事に各人によって ひとつのずれもなく
    その人の位置で臓器が治っていて
    神様の技としか 考えられないと言ってました。
    その人には、その人に与えられたミッションがあります。
    せっかく 頂いた生命です。
    何が起こる事を待ってるのではなく
    自ら進んで やってみる。
    神様は、言います。私は、貴方と共にいる
    恐れるなと。

    愛する天のお父様 主よ貴方を褒め称えます。主よ貴方を褒め称えます。
    貴方がなぜ 罪もないのに むちうたれ、
    十字架に貼り付けられたのか?

    だからこそ 私達が存在し 救われた。
    だからこそ しっかり立って 歩きなさい。声かけしなさい。
    感謝です。今日もこうして前進できること
    感謝して イエス様のお名前によって
    お祈りさせて頂きます。アーメン。

  2. 佐藤裕子

    神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。

    人より劣っているところとがあるなぁと思う事は人と比較していると言うこと。本来は劣ってと言うことはないんだと思う。愛をもって創造してくださったのだから、そこが個性でチャームポイントなんだと思います。
    凸凹を埋めあった時に素晴らしい絵が完成するのだから。本来の自分に戻ると自然に埋めるように人が集まるのかな? 細胞がそれぞれ補う事で人間の身体をつくっているように。力を抜くことが求められているのかな?
    今日のメッセージも自分に向いた矢印を相手に向ける。神さまの透明なパイプになることを学びました。力が入ってたら透明ではなくなるものね。
    愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。私の罪の救い主と信じます。今日の礼拝に参加できましたこと感謝します。私らしく力を抜いてあなたに委ねることをします。どうぞ55歳の1年を豊かに祝福してください。そして、あなたの御心のままに作り変えてください。感謝してイエス様のお名前でお祈りします。アーメン。

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