12月19日 礼拝メッセージ
おはようございます。
今日はイエス様の誕生を覚えて礼拝をしていきましょう。
今は無くなってしまいましたが、元町にはケンタッキーがありました。私の家ではクリスマスの時だけ、ケンタッキーのチキンをと喜久家のケーキを食べて楽しんでいました。喜久家のケーキは誕生日の時にも食べていました。12歳まででしたね。私が小学生の時はクリスチャン家庭ではなかったので、イエス様の誕生よりもおもちゃのプレゼントがメインでした。
確かに、クリスマスに欠かせないのがプレゼントですね。世界中で、この時期になるとプレゼントやパーティーが開かれるのはなぜなんでしょうか?
クリスマスの意味がわからなくても、皆さん喜んでいるのです。クリスマスは神様からのプレゼントがあったのを記念してお祝いしているのです。そのプレゼントとは御子イエスキリスト、神様と私たちの和解のために神様が世に遣わした救い主なのです。イエス様の最後は十字架によって死んでくださったことによって、贖いの代価が支払われました。ですから、私たちはそれを信じるだけで救われ、義とされ、永遠の命を得るという神様の愛であり、恵みに生きることができるようなったのです。
それがクリスマスを喜び、幸せを覚える時なのです。
今日は改めてクリスマスがなぜ喜ばしいのかを知るために、今日のデボーションの箇所からクリスマスのメッセージとさせていただきます。
お祈りいたします。
「天の父なる神様、あなたの尊い御名を賛美します。今日はあなたの誕生をお祝いして礼拝をささげられる恵みに感謝します。あなたの誕生がなければ、私たちは罪の中にあり死の恐怖の中に歩んでいました。私たちはあなたの十字架の死の贖いによって私たちがあなたを信じることで永遠のいのちを得ることができました。ただあなたを受け入れ、御名を信じるだけで救われることに感謝します。この礼拝を祝福してくださり、あなたを褒め称えて歩むことができるように導いてください。私たちの救い主イエス様の御名によってお祈りします。アーメン!」
今日の聖書箇所をお読みします。
ヨハネの福音書 5章39~42節
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。
それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
わたしは人からの栄誉は受けません。
しかし、わたしは知っています。あなたがたのうちに神への愛がないことを。」
先週からヨハネの福音書を読んでいます。そこには神の子どもとされることと、永遠のいのちについて記されていました。
ヨハネの福音書 1章12~13節(2017新改訳)
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
ヨハネの福音書 3章16~17節(2017新改訳)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
そしてこの5章では、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。とあるのです。ここでヨハネが強調していることが、永遠のいのちであることがわかります。
私たちの欲は、長く生きることです。不老不死の薬を手に入れて長生きすることに実はこだわりを持っています。それが昔から神話のようにしてあるのです。
どのようにしたら永遠のいのちを得ることができるのか?
私たちの究極の問いなのではないでしょうか。
私たちは死に対する恐怖があります。自分の存在がなくなること、いなかったことに対する恐怖です。ヨハネは礼タイプですから、当然感情を大切にするだけでなく、人の存在がとても大切な人です。多くの人たちから忘れられること、関係が悪くなることは、死を迎えるような恐怖なことと記されているように思うのです。ですから、特にヨハネの福音書ではこの永遠のいのちがテーマになっているのではないかと推察されます。
人々が聖書を読む理由がここに記されていました。
それは永遠のいのち、天国について知りたいということです。しかし、聖書の記されている目的は、永遠のいのちについてではなく、イエスキリストを証するために記されているのです。
クリスマスは、イエス様の誕生を祝うために設けられた記念日です。本当の誕生日で一番有力な説は9月です。しかし、ローマがキリスト教を国教とした時に、今まで拝んでいた太陽神から変えるために12月25日に制定したと言われています。
イエス様の誕生をお祝いするために設けられたのに、イエス様を無視してただのお祝いにしようとするのです。聖書を読むことももしかしたらそのようになってしまう可能性があります。イエス様を見出すことなく、自分の生きる道を調べるためなのかもしれません。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治も聖書を読みましたが、イエス様を見出すことができませんでした。
もしかすると、イエス様を知ることではなく、永遠のいのちだけを捉えようとして読んでいたり、私が最も気をつけなければならないのが、生き方として教える材料としてしまうことです。その先にはイエス様につながらないことが多いのです。心理学を通してそれを伝えようとしたときがありましたが、全く伝わらなかったです。
今日このクリスマスの時に、私たちがすべきことは・・・
1)聖書はイエスキリストを証している
聖書はイエスキリストのことを証するために記されていることを覚えて、聖書を読んでいくことです。
私たちはSOAPデボーションを使って聖書を読んでいます。
そこに記されている色々な話も全てイエス様を証するために記されているということを覚えて読む必要があるということです。
聖書の記されている背景にあるのが、イエス様を証していることだと思って読んでほしいのです。
全ての目的がイエス様にあることを覚えて読むときに、全ての歴史的なことも、今起きていることも全て神様の摂理として、イエス様の救いの業に向けられていることを知ることができるのです。ですから、私たちはいつもイエス様が今も働かれているのを見る必要があるのです。
そのためには、私たちの信仰を強めていく必要があるのです。信仰とはいつも言っていますが、神様の確かさです。その約束をどこまでも受け入れ、信じることです。その目に見えないものを信じる力、信仰を持ってイエス様を見つめていきましょう。
2)神の愛を見出す
私たちはイエス様の元に行こうとしない一番の理由は、神への愛がないことだとはっきりと記されています。神への愛がないのです。神様との関係が断絶しているのです。それはもしかすると、ヨハネが記しているように「人からの栄誉」を求めていることが原因なのかもしれません。人の目を氣にしていること、人を大切にするあまり、神様の愛を見失ってしまうことがあるのです。
イエス様が礼タイプヨハネに対して語っているとしたら、納得がいく表現が出てきます。「それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。わたしは人からの栄誉は受けません。」
急に「人からの栄誉を受けません」というのです。礼タイプに限らず私たちも人を気にするのです。神様と人とを天秤にかけて、人を選ぼうとするのです。そして、神様の命じられていることを実行することができないのです。
イエス様の元に行かず、人を氣にしている私たちの姿がここに記されているのです。だからこそ、私たちは神様を愛することを行っていくためにも、イエス様を聖書から求め続け、神様のからの栄誉を受けるように生きることが必要なのです。
クリスマスのこの時、私たちは大いなる決断する必要があるのです。聖書は私たちに語るのです。いのちを得ようとするなら、イエス様のところに行く必要があると、語るのです。
イエス様を通して神様がなさっている救いのみ業が、確かなものとして受け入れるときに、私たちの信仰が強くなっていくのです。
今日、クリスマスのこの時、イエス様の姿を見出し、人類の救いの業をおこなった神様の愛に応えて歩んでいきましょう。
佐藤裕子
わたしは人からの栄誉は受けません。
この所頭の中がこんがらがってしまって、毎日デボーションは読んでいたのですが書き記す事が出来ませんでした。
人の事を考え過ぎていたのかなー?と思いました。
クリスマスメッセージを聞いたり聖餐式に参加したり食事を一緒にする中でイエス様を第一にして行く事が出来たのかな?と思います。
愛する天のお父様。主よ。あなたを褒めたたえます。
私の罪の救い主と信じます。
人との違いを気にするあまり人に気をつかうようになってしまいました。私を私らしく作ってくださった神様の思いに反しているんだと思います。あなたの思いを存分に発揮できるように助け導いてください。イエス様のお名前でお祈りします。アーメン。
honmoku
おはようございます。
交わりも大切にしていきましょう。
祈っています。
小間物谷直子
その聖書は、わたしについて証ししているものです。
証しって大事ですね。証しがなければ中々人は、信じないし 自分の目で確かめないと。
だから 100人隊長は、信仰が素晴らしいと
イエス様が言われた。
イエス様の償いによって 救われたこと
すべては、神の計画の中にあること
神の御子 イエス様の血潮の意味をわかるものとして 生きていきたい。
愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。神の御子として 貴方が生まれ 血潮によって私たちの罪があがなわれたこの事実を
私たちをとおして もっと多くの人に伝える事ができますように。証しによって 貴方のすごさをもっと沢山の方々に届きますように
イエス様のお名前によって お祈りさせて頂きます。アーメン。