信仰生活
Scripture
ペテロの手紙 第一 2章8~9節(2017新改訳)
それは「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからであり、また、そうなるように定められていたのです。
しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。
Observation
私たちの前に置かれているのは「つまずきの石、妨げの岩」です。それはイエスキリストの十字架の死と復活のことです。このイエス様を土台にして、家を建てることが重要ですが、多くの人たちはこの土台となる石に目を留めることがありません。なぜなら、人の目にはいらないように見えるからです。そして、この石を大切にするためにはみことばに従うことです。
今までもデボーションを通してみことばに従ってきたときは、神様とつながった歩み方をしています。しかし、みことばに従わなくなったときに、そこから離れていくのです。つまり、つまずくのです。多くの人たちがつまずきますが、それもそうなるように定められているのと聖書は語っています。なぜなら、世の中のものの方が素晴らしく見えてしまうからです。
しかし、みことばに従った者たちは神様から次のことを受けているのです。
1)闇の中から光へと導き出してくださった方の栄誉を告げ知らせるために召されたのです。
2)私たちは選ばれた種族であること!
3)王である祭司としての働きがあること!
4)聖なる国民であること!
5)神のものとされた民なのです。
この世の人たちにはつまずきの石となったことが、実は素晴らしい働きのために導き出されたことに感謝して歩みましょう。
Application
みことばに従わない時に、イエス様はつまずきとなってしまいます。そして神様からの召しから遠く離れてしまいます。
自分の欲を優先させるときに、みことばに従わないことが多くありました。今までになく、御声に聞き従うことが重要であること教えられています。信仰の長さとか、経験とか関係なく、今日、みことばに従えるかが大切なんだと教えられました。
シェアリング・チャーチを始めることも同様であり、デボーションを一緒にすることが何よりも大切だと思わされています。また、自己概念というのでしょうか、世の中の価値感からすると、捨てられた石のように思えることがあっても、神様の目から見てどのような存在なのかを伝え続ける必要があるのです。
そのためにも、
1)自分自身がみことばに従っていくためにも、デボーションを通して素直にみことばに従っていこう!
2)神の子とされ、神の民としての意識を高めていこう!!
3)シェアリング・チャーチの働きのために、祈り続けていこう。
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
みことばに従わないときに、あなたはつまずきの石になります。そうならないためにも、聖霊の導きの中で、あなたの声に聞き従っていくことができるように助けて下さい。そして、何よりも闇の中から光の世界に導き出してくださった方の栄誉を告げ知らせることができるようにしてください。
私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン!
木村尚子
みことばに従うということが大切だとわかっていますが、
その前に
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい、
と書かれています。
私には、まず慕い求め、みことばを聴く、そして従うことが重要だと思います。
これらのことをやらなきゃ、ではなく、
毎日の習慣として、できるようになりますように!
honmoku
木村さん、ありがとうございます。
そうですよね、乳飲み子のように慕い求め、みことばを聴く、そして従うことは大切です。
神様との時間が楽しくて、毎日したくて、したくて仕方がないような習慣ができますように祈っています。
というか、行っていると思いますが・・・
祈っています。