信仰生活
Scripture
マタイの福音書26章31節〜35節(LB訳)
その時、イエスは弟子たちに言われました。「今夜あなたがたはみな、わたしを見捨てて逃げるでしょう。聖書に、『わたしが羊飼いを打つ。すると羊の群れは散り散りになる』(ゼカリヤ13・7)と書いてあるからです。しかし、わたしは復活して、もう一度ガリラヤに行きます。そこであなたがたに会います。」「たとえ、みんながあなたを見捨てようと、この私だけは絶対に見捨てたりしません」と訴えるペテロに、イエスは言われました。「はっきり言いましょう。あなたは今夜鶏が鳴く前に、三度、わたしを知らないと言います。」しかしペテロは、「死んでも、あなたを知らないなどとは申しません」と言い、ほかの弟子たちも、口々に同じことを言いました。
Observation
イエス様は過越の祭のために食事をしている時に、イスカリオテのユダに「裏切るのはあなただ」と言いました。それにも関わらずユダは裏切りを実行するのです。
弟子たちには「今夜あなたがたはみな、わたしを見捨てて逃げるでしょう。」と言いました。ペテロは「たとえ、みんながあなたを見捨てようと、この私だけは絶対に見捨てたりしません。」と言いますが、イエス様に「はっきり言いましょう。あなたは今夜鶏が鳴く前に、三度、わたしを知らないと言います。」しかしペテロは、「死んでも、あなたを知らないなどとは申しません」と言い、ほかの弟子たちも、口々に同じことを言いました。
実際にはこの出来事が起こるのです。ペテロは知らないと言い、弟子たちは逃げるのです。私たちは相対であり、絶対ではないこと、相対であるが故に罪人であることを自覚し、神様の恵みの中でいかされる必要があるのです。
Application
私は絶対ではありません。ですから、弟子たちと同じように何かあると逃げ出すような者です。だからこそ、毎日デボーションを通して神様と共に歩む事を選んでいくのです。
自分の罪があれば、悔い改めて神様に立ちかえり、福音を宣べ伝えていくのです。その資格がないのではなく、自分の弱さを通して神様が完全に働かれるのです。ですから、聖霊に満たされて、自分の賜物を使っていく必要があるのです。
昨日、賜物テストをしてみました。今回は「とりなし」が一番でした。とりなしの賜物は、たびたび特別な結果を見ながら、他の人のために、また他の人の代わりに継続して祈ることのできる神坂ら与えられた能力である」と言われています。この賜物をつかって、霊的な戦いを意識して祈っていきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたの大いなる御名を賛美します。あなたからの賜物を明確にしてくださり、心から感謝します。絶対ではないので、罪を犯しやすいです。自分も罪人の頭であるからこそ、あなたのとりなしの祈りが必要です。いつもあなたの前に歩む事ができるように助けて下さい。
あなたの愛に感謝して、私たちの救い主イエスキリストの御名でお祈りします。
アーメン!
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