信仰生活
Scripture
コリント人への手紙 第一 5章11~13節(2017年新改訳聖書)
私が今書いたのは、兄弟と呼ばれる者で、淫らな者、貪欲な者、偶像を拝む者、人をそしる者、酒におぼれる者、奪い取る者がいたなら、そのような者とは付き合ってはいけない、一緒に食事をしてもいけない、ということです。
外部の人たちをさばくことは、私がすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。
外部の人たちは神がおさばきになります。「あなたがたの中からその悪い者を除き去りなさい。」
Observation
昨日は、神様が裁かれるので、自分のことも裁かないことでした。しかし、今日パウロは裁きについて書いているのです。
さらに詳しく記されているのです。
そうです、神様が裁くのは神様を信じていない人たちです。そして、神様を信じている者は私たちが裁くのです。
「兄弟と呼ばれる者で、淫らな者、貪欲な者、偶像を拝む者、人をそしる者、酒におぼれる者、奪い取る者がいたなら、そのような者とは付き合ってはいけない、一緒に食事をしてもいけない、ということです。」
この人たちと付き合うなら悪い実を生み出すからです。信仰から離れていくのです。
私たちは内側の人を気をつけなければならないのです。
Application
クリスチャンとか、神様とか言っているから信頼できるのかというとそうではない。感情に流されている人たちが大勢います。
その人たちと付き合わない方がいいと思っています。私も気をつけなければならいのです。なぜなら、自分自身が罪人の頭であるからです。神様の前に自分が立ち続けていく必要があるのです。そのためにもデボーションを通して、神様に示されつつ歩んでいきます。
Prayer
天の父なる神様、あなたのお名前を賛美します。
我が子よ。あなたの祝いの日に、わたしを誉め讃えなさい。わたしが主であることを知らせなさい。わたしはあなたに与えている愛の心を持って人々に語りかけなさい。人々を励まし、勇気付けなさい。経済のことをわたしに委ねなさい。わたしが導くからだ。恐ることなく、わたしの愛を語りなさい。わたしがあなたを祝福するからだ。あなたに見せているビジョンを叶えるために、わたしが先立って道を整える。その道を歩め、あなたに命じていることを語りなさい。私の罪の救い主イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
佐藤裕子
一緒に食事をしてもいけない、ということです。
食事と言うことは自分の中に入れると言うこと。悪い人達と一緒に食事をする時に知らずと一緒に食べてしまう。食事をする意味は深いなぁ~と。最後の晩餐が思い浮かびました。食事に限らずその場に一緒にいて同じ空気を吸うことも同じなのかな?と思いました。イエス様と一緒にいる事に尽きると思います。
愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。私の罪の救い主と信じます。これから先、色んな人達と出会い関わりを持って行くと思います。常にあなたと繋がっている事ができるように助け導いてください。あなたの愛に感謝してイエス様のお名前でお祈りします。アーメン。
honmoku
イエス様と一緒に食事をしていきましょう。
小間物谷直子
あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。
ある人から言われた事があります。
強烈なクリスチャンだと
そうなんでしょうか?
おかしいと思う事は、おかしいと
言ってしまいます。おかしいからです。
日本人ですが、日本のクリスチャンがあまり好きではなかった。
洗礼を受けた牧師さんが、強烈だったからかな?アメリカ在住日本人牧師からかな。
クリスチャンで、なんで神社にいくの?とか 色々あります。
なんか おかしいよな。
私の中にも 悪い物があります。
それを とりのぞけるように ヒビ訓練です。そして 怒ることなく
とりなしの祈りをしていきます。
愛する天のお父様 主よ貴方を褒めたたえます。とりなしの祈りをして行きます。
彼 彼女らは、何をしているのか、わからないのです。どうぞ イエス様の愛によって導いてください。
そして 私をその僕として お使いください。イエス様のお名前によって お祈りさせて頂きます。アーメン。
honmoku
おかしなクリスチャンが多いです。
自分が罪人であること、そこから恵みによって救われたことを忘れてはならないのです。
祈っています。