4件のコメント

  1. 佐藤裕子

    イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。

    昔、学会の会合で池田大作を中心に勤行した時があり。その時、ご本尊を見るのではなく池田大作を見ることをしていて、イヤイヤ…拝むのはそっちじゃないから!と自分で自分にツッコミを入れたなぁと思い出しました。あくまでもリーダーであり、拝む対象ではないと思ったなぁ…と。
    どこまでいっても神さまと私の関係だし、神さまだけを見たい。
    愛する天のお父様。主よ。あなたを褒め讃えます。
    あなただけを見たいし、見ます。あなたと私の間に何も入らないようにしてください。感謝してイエス様のお名前でお祈りします。アーメン。

  2. 小間物谷直子

    イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。
    律法は、弱さを持つ人間たちを大祭司に立てますが、律法の後から来た誓いのみことばは、永遠に完全な者とされた御子を立てるのです。

    ただ1度でそのことをなしとげる。
    何をも増して 神さま イエス様は
    凄いなぁとおもいます。

    誰が大祭司か、イエス様の他にはないのです。人ではない。
    それさえ 心で理解できていれば
    何も、迷うことがない。
    失われた時間をイエス様と共に 取り戻して いきます。

    愛する天のお父様 いつも感謝です。
    気づきをありがとうございます。
    失われた時間 空間を取り戻していきますから 貴方の力が必要です。
    貴方の導きが必要です。
    家族をお守りください。
    私と関わる すべての方々に神さまの祝福が届きますように。
    イエス様のお名前によって感謝して
    お祈りさせていただきます。アーメン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA