今日のデボーション聖書箇所
信仰生活
Scripture
コリント人への手紙 第二 5章20~21節
こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。
神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。
Observation
私の役割はキリストの使節です。神はキリストに代わって私を通して勧められるのです。「神と和解させていただきなさい」と。イエスキリストにあって私たちは神の義を得ることができます。なぜなら、神は罪を知らない方(イエスキリスト)を私たちのために罪とされたからです。
そしてイエス様を信じる信仰によって私たちは義とされたのです。ですから、私たちはキリストの使節として歩むのです。
Application
昨日のイースター礼拝に感謝します。
改めてキリストの十字架と復活の意味を思い出す時間となりました。
今日の詩篇 53篇1~3節では
“愚か者は心の中で「神はいない」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい不正を行っている。善を行う者はいない。神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない。”
私たちは罪を犯していて、神様の前には誰ひとりとして赦されことなく、裁きにあう者です。だからこそ、罪を知らないイエスキリストを罪とされて、十字架で私の身代わりとして死なれたのです。そして神は、信じる者を義(絶対に正しい者)として見なしてくださるのです。義と見なしてくださるのであって、私の中に罪が全くなくなったのではないのです。それでも、赦された者として神様が私を通して勧められるのです。「神と和解させていただきなさい。」とこれが私の使節としての働きなのです。これは自分に対しても、多くの人たちに対しても「神と和解させていただきなさい」と語るのです。
罪人であるがゆえにイエスキリストによって罪の代償を払っていただきました。だからこそ、私はそのイエスキリストを信じる信仰によって義とされ、口で告白して救われたのです。
この喜びが他のことよりも大きく、使節として伝えていくのです。
今日も自分の役割を確認し、聖霊の助けの中を歩んで行きます。
Prayer
天の父なる神様、あなたの御名を賛美します。
今日も御言葉をありがとうございます。本当に罪人の頭として、良いところが全くなかった者なのに、一方的な憐れみによってあたなを信じるように導いてくださり感謝いたします。そのよろこびのゆえにあなたの福音を伝えられるように導いてください。聖霊の賜物によってイエス様が考えるように考え、イエス様が語るように語り、イエス様が行動するように行動できるように助けて下さい。
あなたの愛に感謝して、私たちの救い主イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!